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2009.06.03

梅田氏の「残念」なインタビュー

すてきな音楽を聴いて来たのだけれど、それはまた明日以降に。

ITmediaが梅田望夫氏へのインタビューを掲載した。
  前編後編

しかし、「シリコンバレーから将棋を観る 羽生善治と現代」の出版記念で行われた対談で、将棋については後編の後半くらいしか使っていない、というのも、なかなかすごいインタビューではあるが(苦笑)、それはさておき。
[補足] ちょっと皮肉っぽい口調だけど、別に「だましうちだ」などと思ってるわけではないからね。むしろ、後半の将棋のことも含めて、聞きたいことをよくここまで踏み込むもんだと思ったから、触れたのです。

***

梅田氏は「ウェブ進化論」がベストセラーになったことで一躍有名になった。
主に「インターネットで起きている様々な事柄をわかりやすく提示してくれる識者」という認識を持たれやすいようだ。
ただ、この方の御本業は経営コンサルタントである。
時代およびエンジニアリング/テクノロジーのエッジにおいて、もやもやと、しかしものすごい速度で起きていることを、モデル化して議論可能な状態に持ち込む、というのがおそらく本来の土俵であると思う。それが効果的に現れたのが「ウェブ進化論」だった。
また、「ウェブ進化論」は、技術と生活が相互に作用しあって、暮らしぶりがどんどん変化していく時代における、ライトな思想的エッセイ、という含みも多分持たせていたのではないかと受け取っている(少なくとも私は)。

当ブログで「ウェブ進化論」に関しては、2006年8月「みんな読んでる『ウェブ進化論』」で触れた。
(その後、2008年4月「いまごろ『ウェブ時代をゆく』について」、
さらに2008年12月「日本語が亡びるとき、読了」でも、水村美苗氏との対談(新潮に掲載)で触れている。)

上記の「ウェブ進化論」について書いた感想では、ライトな思想的エッセイ、という表現をしたわけではない。
ただ、あの書物を現代のインターネットの入門書のように扱う人々がいるのを見て、それは違うだろう、というときに思いついたことだ。
そもそもあれは技術書ではない。
ただし、インターネットで起きていることのうち、回線の向こう側に巨大なコンピューターを構えて新しい事業や業務を繰り出す人々が勃興して来た動きと、そのバックグラウンドや考え方を、コンパクトに明示したところが、鮮やかだったのだ。
そして、そこにこそ価値があった(だからこそ、筑摩書房の編集部も着目されたのだと思う)。

そう考えると、梅田氏があの書物に託したのは、ウェブやインターネットの語り部や解説、さらには評論などではないはずだ。
これからの時代を考えるための、共通の枠組みのようなものだろう。
経営コンサルタントとして付き合いのあるエッジに立つ人々の様子をひきながら、その空気と振る舞いを伝え、さらにそこから希望や願望も伝えようとする(だから厳密な論よりもエッセイ的になっていく)。
そこを、思想的エッセイ、と私は感じていた。

***

今回のインタビューを読むと、そう大きな勘違いはしていなかったかな、と感じた。
同時に、このインタビューはいろいろな意味で物議をかもすだろう、とも。
なにしろ、日本のインターネットやウェブに関する現状を、残念だと語っているのだから、これまで楽観的な側面を強調して来た梅田氏が、日本のウェブの現状をひどく悲観していることに「おまえがそれをいうか!」と叫ぶ人が多いように見受ける(し、実際にググッたりすればすぐに出てくる)。

しかし、これは表現の裏面ということだろう。
氏はそもそも、Googleの連中を取り上げながら、彼らが知の新しい集積を目指している様子を紹介している。
頭を磨き抜いて、知の最先端を競い合う人々が、インターネットをベースにした新しい知の機関を開拓している、今日本もそれに加わらないと遅れをとるぞ、という思いが元々にじんでいた。

おそらく梅田氏は「頭のいい人」が好きというより「アカデミズムも含めた知の粋を極めたいと願う人」が好きなのだ(いや、実際に頭のいい人が好きなんだろうとしても、その背後にはこういう考えがあるように思う)。
そして、そこに参加するための最高の道具が、インターネットに展開されつつあるにも関わらず、日本ではそこから一歩ずれた、脱力的な文化に注目が集まることを「残念」と称しているように見受ける。

ただ、日本では大学での研究より企業の研究、何の役に立つかわかる研究に注目が集まる傾向が強い。
また、大学などではアカデミズムの本気のすごさに触れる前に、卒業してしまう傾向も強い(特に文系…いや、自分も元々は文系側なのだが、選んだ専攻ゆえ教授や院生に学問の厳しさとおもしろさの両方をかいま見せていただけた、それはやっぱり財産だ)。
さらに、失われた十年を経験してから、日本の若者たちは今すぐ役立つこと以外を学びたがらない傾向が強まっているようにも感じる。(一方で、好きなことをやる時、以前よりもずっと恵まれた環境にいるため、時々すごい才能を見せる若者が出てくるのも事実であるが。)
こうした状況自体は、たとえば国立の大学院大学や、慶應SFCなどを含めたいくつもの実験があったにも関わらず、社会全体が大きく動いてはいない。

私としては、日本のウェブが残念というより、日本全体を覆う意識の持ち方が残念、というのが本当のところではないのかな、と思う。
ただ、梅田氏のように、ある程度以上の影響力のある方から、今回の言葉が出てくれば、ネットは政府や社会から監視され制限されるべき悪しき存在だ、と主張したい人々にあえて誤読されてしまう危惧はある。
私が今回のインタビューで「残念」なのは、そのことだ。

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