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2012.01.19

1月に入り、もう半月を過ぎた

2012年である。この正月は、休みが短めだった方も多いと思われる。そのせいか、あっという間に半月を過ぎていた。

例によってウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートや、歌舞伎の初芝居(2日の新橋演舞場ほかや、3日の国立劇場)をテレビから流していた。
ウィーンフィルの新年、今年の指揮は再登場のマリス・ヤンソンス。やわらかくゆったりした響きの中にも要所をしめ、チャイコフスキーを演奏したりして、新味を出そうとしていた。会場の反応をみても、響きの豊かさを聴いても、成功だったろう。ヤンソンスとウィーンフィル、このような華やかな演奏会と相性がよいようだ。

ただ、今年はあまり深く響いてこなかった。
こちらが変わったのだろうとは思う。
一方で、311の震災や夏の台風を経たから、というのはもっと違うように思う。

ウィーンフィルの新年についていつも思ってきたのは、20世紀半ばに始まった偉大なるマンネリを、今後も適度なフレッシュさを保ちつつ、続けていってほしい、ということ。
だから、天災震災を経たならなお、豪華な響きの美は続いてほしいと思っている。

私が感じているのは、18世紀以来続いてきた大規模指向のオーケストラというものが、そろそろ耐用年数の限界に近づきつつあるのではないか、という予感のようなもの。
もっとも、オーケストラが今の形に近くなったのは18世紀末〜19世紀に入ってからだ。これまでの欧州の音楽は、一つの音響形態がプラットフォームとして機能し始めると、300年ほど変化しながら続いていったから、21世紀あたりまでは続いてもおかしくない、という見方だって成り立つ。
ただ、それはヨーロッパが世界の辺境から中心になっていく過程での出来事だ(中世ではイスラム文化圏や中国文化の方が広がりをもっていた)。
さらに、20世紀にマスメディアが上げた情報伝達の速度は、現在ではさらに加速している。ITにより一般の人々がメディア的な機能を手にしたため、たとえばYouTubeにアップロードされた動画は、ネット経由でほぼ世界同時に認識できる(実際にそうしたことで流行が発生するのはほんの一握りだが、それはこれまでも同様だったろう)。

そう思うと、オーケストラの響きは、深々とした情感やノスタルジックな雰囲気を中心に移していき、また新しい地から、これまでと違う響きが伝わっていくような気配も感じる。
そんな気持ちから、年頭のオーケストラの響きを、あまり新鮮に感じなかったのかどうか。まだはっきりとはわからない。それに、世界中でほぼ同時に音楽や文化を味わえるなら、大きな変化が起きにくくなっているのかもしれない、という逆の考えも成り立ち得る。

などとグルグル頭の中を巡らせていくうちに半月が過ぎていた、というほど、このことを考え続けていたわけではないにしても。
オケ → 古楽(や世界の民族音楽)→ 雅楽、と歩いてきた自分の響きへの思いも、人文学や心理学や文学やITと広がってきた自分の考える領域も、そろそろ見渡して組み立て直す頃合いなのかもしれない、とは思った。

ともあれ。
皆様にも、自分にも、よき一年を祈念して。旧正月(1月23日)を前に。

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