偏愛する楽器に置かれた、最後の華
[サンマルティーニ作曲:リコーダー協奏曲 ヘ長調]
クラシック音楽の一般的イメージといえば、フル・オーケストラの壮大かつ繊細な響き、大舞台のグランド・オペラ、あるいはピアノのソリストによる華麗かつ情緒溢れる演奏だろう。
その、ピアノ曲のCDを長く聴くのが苦手である。CD1枚くらいは聴いていられるが、その後もずっと続くと、違う楽器のCDに替えたくなる。
ショパンやシューマンの名曲集、あるいはシューベルトのソナタ、ラフマニノフの前奏曲などを収めたCDばかりをずっと聞き続けることはあまりない。いわゆるクラシカルな音楽だけではない。キース・ジャレットのソロ・コンサートや、ウィンダムヒル・レーベルのジョージ・ウィンストンなど、ピアノ・ソロをずっと聴き続けることは、あまりない。
これが、オルガンならば、オッケーなのだ。また、ピアノに、ヴァイオリンかチェロだけでも加われば、長く聴いていられる。それだけじゃない、無伴奏ヴァイオリンの音楽を集めたCD、同様のチェロ、フルート、オーボエ、サックスなどでもだいじょうぶ。バンドネオン、笙、リコーダーなどはむしろ歓迎である。
ピアノの、正弦波がわずかに変化していくような響きよりも、倍音成分を多く含む、リーディーな響きが好きなのだ、きっと。
リコーダーのような(言ってみれば単純な)楽器を長く吹き続けているのも、それが理由なのだと思う。
クラシック音楽の持つ重厚でたっぷりと浸るような響きというイメージは、弦楽器群の厚みある音色にもあるだろうし、それを一人で疑似的にやれるから、ピアノという楽器が特別な地位を占めている。
そして、一般的に言われるクラシック音楽、つまり19世紀初頭のベートーヴェンから20世紀前半あたりの音楽は、大編成化と、そこから可能になった振幅の大きさ、多彩な音色をベースに、ものすごくたっぷりした旋律(ワーグナーのように)が奏でられることにも特徴がある。
だから、リコーダーが好きで、17〜18世紀の音楽が好きな私の感性は、通常のクラシック音楽とはやや別の何かを聴いている、とも言える。
(誤解がないように断っておくが、私だって19世紀から21世紀までの音楽を聴く。ただ、普通の人より、17〜18世紀の音楽を偏愛しているだけだ…って、力説するほどのことでもないか。)
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