一曲一話

2007.06.11

偏愛する楽器に置かれた、最後の華

[サンマルティーニ作曲:リコーダー協奏曲 ヘ長調]

クラシック音楽の一般的イメージといえば、フル・オーケストラの壮大かつ繊細な響き、大舞台のグランド・オペラ、あるいはピアノのソリストによる華麗かつ情緒溢れる演奏だろう。

その、ピアノ曲のCDを長く聴くのが苦手である。CD1枚くらいは聴いていられるが、その後もずっと続くと、違う楽器のCDに替えたくなる。
ショパンやシューマンの名曲集、あるいはシューベルトのソナタ、ラフマニノフの前奏曲などを収めたCDばかりをずっと聞き続けることはあまりない。いわゆるクラシカルな音楽だけではない。キース・ジャレットのソロ・コンサートや、ウィンダムヒル・レーベルのジョージ・ウィンストンなど、ピアノ・ソロをずっと聴き続けることは、あまりない。

これが、オルガンならば、オッケーなのだ。また、ピアノに、ヴァイオリンかチェロだけでも加われば、長く聴いていられる。それだけじゃない、無伴奏ヴァイオリンの音楽を集めたCD、同様のチェロ、フルート、オーボエ、サックスなどでもだいじょうぶ。バンドネオン、笙、リコーダーなどはむしろ歓迎である。
ピアノの、正弦波がわずかに変化していくような響きよりも、倍音成分を多く含む、リーディーな響きが好きなのだ、きっと。
リコーダーのような(言ってみれば単純な)楽器を長く吹き続けているのも、それが理由なのだと思う。

クラシック音楽の持つ重厚でたっぷりと浸るような響きというイメージは、弦楽器群の厚みある音色にもあるだろうし、それを一人で疑似的にやれるから、ピアノという楽器が特別な地位を占めている。
そして、一般的に言われるクラシック音楽、つまり19世紀初頭のベートーヴェンから20世紀前半あたりの音楽は、大編成化と、そこから可能になった振幅の大きさ、多彩な音色をベースに、ものすごくたっぷりした旋律(ワーグナーのように)が奏でられることにも特徴がある。

だから、リコーダーが好きで、17〜18世紀の音楽が好きな私の感性は、通常のクラシック音楽とはやや別の何かを聴いている、とも言える。
(誤解がないように断っておくが、私だって19世紀から21世紀までの音楽を聴く。ただ、普通の人より、17〜18世紀の音楽を偏愛しているだけだ…って、力説するほどのことでもないか。)

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2007.01.07

アウェーでの音楽

滔々と迫る音の波がついに沸騰し、巨大な音の柱を打ち立てる。清楚かつ重量感のある金管とティンパニに、すべての楽器が唱和していく。胸に迫るその白金の輝き。

自分だけでは得られないものをつかむ瞬間というやつが、人間にはあるらしい。
ただし、齢87に達した者にそれが訪れるとは、普通は思わない。
長く真剣に生きたものに与えられる、神様からの褒美なのか。

私がいうのは「朝比奈隆+シカゴ交響楽団 1996年アメリカ公演」という1枚のDVDのことである。

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2006.07.24

跳躍の前には大きくかがむものだ

[ベートーヴェン作曲:交響曲第2番 ニ長調]

前回(9ヶ月近く前だが)、テレマンの協奏曲で触れたフランス・ブリュッヘン。
21世紀に入った今、ブリュッヘンがリコーダーを吹いていた話をすると、ぎょっとして「冗談でしょう、指揮者が教育用楽器を吹いていたなんて」と真顔で答える音大生さえいる。
もはや彼は指揮者と認知されているようだ。

ブリュッヘンが笛吹きとして最後に来日したのは1980年の11月だった。
当時、彼は天下に並ぶものなきリコーダー(ブロックフレーテ)、フラウト・トラヴェルソのカリスマだった。

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2005.10.28

18世紀の悦びが今にこぼれる

[テレマン作曲:フルートとリコーダーのための協奏曲 ホ短調]

テレマンは在世中、ヨーロッパ随一の名声を誇った作曲家だった。同時代のドイツ出身の作曲家にはヘンデルやJ.S.バッハがいるが、比べ物にならないくらいの人気だったという。しかし、彼らは時代の変化とともにほとんど忘れられ、一部の音楽家や愛好家の間で細々と受け継がれていた。
モーツァルトは「古楽」愛好家の男爵が集めた楽譜でバッハやヘンデルを改めて知った。これは交響曲第41番に結実する。
ベートーヴェンの場合、先生がバッハの系譜に属しており、教育に採り入れた。これは素晴らしい歴史の偶然で、ベートーヴェンは曲に厚みを持たせる際に、対位法を採り入れることになる。交響曲第9番に至っては、パレストリーナの楽譜まで参照して作曲している。パレストリーナはイタリア・ルネッサンスとバロックの狭間に位置する巨匠だ。バッハ以前の音楽に至る系譜がなんとか記憶にあった、最後の世代とも言える。
しかし、一般には18世紀までの作曲家は、19世紀に入ってほぼ忘れられた。(モーツァルトだってそういう面がある!)

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2005.09.06

切々と紡ぎ続ける歌姫、またはタペストリー

[遊佐未森「タペストリー」]

しばらく間が空いたからというわけじゃないけど、たまにはポップスを。

遊佐未森って、1980年代後半から1990年代前半までそこそこ話題になったけど、それ以降は一部の人々で静かにかつ熱烈に愛好されているような気がする。
(ご存知ない方は、オフィシャル・サイトをどうぞ。)
というのは、彼女のことを好きだという方に話をうかがうとたいてい、アルバムなら「瞳水晶」(1988年)、「空耳の丘」(1988年)、「ハルモニオデオン」(1989年)、「HOPE」(1990年)あたりが話題になるから。

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2005.07.03

爆発する音の自由

[ヴィヴァルディ作曲:4つのヴァイオリンのための協奏曲 ロ短調]

いま、私は1枚のCDを前にしている。
ジャケット写真は、一人の女性がこちらを向いている。
知的で端正な顔立ち。細身のようだが、楽器を支えるであろう腕はしっかりしている。
セクシーではないかもしれない。しかし、若い頃から美女として通ってきた。

女性の名はヴィクトリア・ムローヴァ (Viktoria Mullova)。
1982年のチャイコフスキー・コンクール優勝で名を轟かせ、翌年の亡命以後、着実に歩みを進めてきたヴァイオリニスト。
目前にあるCDは、彼女の弾く最新のアルバム、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集である。
もう1ヶ月くらいになるが、折りに触れて聞き、しかも飽きない。

CDのリリースは、今年に旗揚げした英国のレーベルonyx。
第一弾はパスカル・ロジェの弾くドビュッシー「前奏曲集」が入っていたりして、なかなかおもしろい。
しかし、試聴して抜群におもしろく、さっとレジに持っていってしまったのは、ムローヴァがイタリアの古楽アンサンブルのイル・ジャルディーノ・アルモニコ(Il Giardino Armonico)を指名して実現した方だった。

猫、いやチーターのように敏捷なイル・ジャルディーノ・アルモニコの音を、とても魅力的に録っているし、その上でほんとうに楽しげに羽を広げるムローヴァのヴァイオリンがすてき。
こんなに魅力的なCDには滅多に巡り合えない。

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2005.05.22

こんなにも濃密な時間

[ベートーヴェン チェロ・ソナタ第3番 イ長調]

バッハの無伴奏チェロ組曲は…え?まだこの話題を引っ張るかって?
いや、ほんのちょっとだけ。
えー、無伴奏チェロ組曲は、イギリス組曲(鍵盤楽器のための組曲)と同じ形式。そして、バッハの独奏器楽曲にはこうした、上質の独り言とでも括りたくなる組曲が多い。
独り言というより、名作をたくさん残した作家の日記、とでもいったほうがいいのかな。
有名なヴァイオリンのシャコンヌも、単独で扱うよりは、とある組曲の掉尾を飾る曲として聞くほうがしっくりくる。(コレルリのソナタ<<ラ・フォリア>>も同様。)
特にチェロ一本の場合、男性の声を連想させるからか、また曲に過度の緊張がなく伸び伸びとしているゆえか、作曲家の裸の声が聞こえてくるような気がする。

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2005.05.06

笛吹きもオーボエ吹きもなぜか好き

[バッハの無伴奏チェロ組曲 BWV1007-1012]

前回一曲一話の続き。未読の方はそちらを先にお読みください。)

ところで、ブリュッヘンの<<ラ・フォリア>>はすばらしかったのはいいが、肝心の笛で吹く無伴奏チェロ組曲はどうなったか。

リコーダーが非常にまっとうな楽器であることは、あの演奏でよくわかった。
そこで練習曲がたくさん載っている楽譜や教則本を買ってきて、他の曲で指と舌を慣らしていった。しばらくすると、第3番ハ長調のメヌエットのように、ほとんど旋律を聴かせる曲は、それなりに聞こえるようになっていく。

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2005.05.05

甘い衝撃、またはFlauto Dolce

[コレルリのヴァイオリン・ソナタ 作品5]

まだCDがこの世になかった頃、新譜のLPレコードは1枚2,500円だった。

バブル経済がやってくる前。
文庫本は300〜500円程度。
喫茶店のコーヒーが350円前後、まだカフェは存在せず、部活のあとは一杯250円の喫茶店が貴重だった。(注:もちろん公式には学校の帰りに喫茶店に寄ってはいけないことになっていた。OBが保護者になるわけだ、こういう時は。)
高校生のバイトも今ほど一般的ではなかった。小遣いは月に5千〜1万円程度か。今の子がきけば「どうやって暮らしてたの?」と言い出しそうな金額だ。

そんな頃、1枚の盤に2,500円を差し出す。そうまでしても、聴きたかった。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー、マーラー、シベリウス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ドビュッシー、ラヴェル、シェーンベルグ、ヴェルク、バルトーク、ショスタコーヴィッチ、etc.
他にもいくらでも聴きたいものがある。お金が足りない。多くの場合、FM放送を活用する(ポップス、ロック、ジャズなどはすべてFMから)。気に入った、どうしてもほしいものを中心にLPレコードを買う。

こんなラインナップの中に、リコーダー演奏が中心のLPレコードも含めることになるとは思ってもいなかった。
しかし、買わざるを得ない気持ちに追い込まれていた。

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2005.04.23

盤渉調調子

盤渉調調子とは、雅楽にある六調子のうち、盤渉調の曲を演奏する際に、当曲の前に演奏する曲。
その場を、盤渉調を演奏するにふさわしい空気にする曲。

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