東京都の青少年健全育成条例の改案、審議継続に
先日、東京都の青少年健全育成条例の改案について、よくない案であること、それは人々の選択の自由の機会を狭め、子供たちが選択することを学ぶ機会も奪う方向で運用することも可能であることから懸念している、と書いた。つまり、反対である。
3/19の午後に行われた会議(都議会の総務委員会)において、審議継続となった。3/30の本会議で正式決定となり、その後は委員会で検討を続け、再び6月の都議会で採決をとることになる。
(アサヒ・コムの記事(3/19)、YOMIURI ONLINEの記事(3/19)などを参照。また、Internet Watchの記事(3/19)は審議経過も伝えている。)
3/30の本会議がどうなるかを注目する必要はあるが、現段階では強行採決のような動きには至らないだろう、ということはわかった。
条例改定を推進する側にとっても、反対する側にとっても等しく時間ができたことになる。この間に、本当に大切な議論を進めることが大切になってくる。
反対派は、いわゆる俗悪なマンガ等の表現が性犯罪を増やす訳ではない、というところに力点を置きたがる。ただし、賛成派はそのようなことはあまり考えていないようだ。
その答弁を読む限り、普通の人にとっては気持ち悪い表現が、街やネットの至るところにあること自体がおかしい、それは規制かつ根絶されてしかるべき、というのが動機のように見える。
つまり、議論のとっかかりや噛み合わせよりも、良識に従えば普通気持ち悪いものが大手を振ってるのはもうたくさんだ、という心情を相手にすることになる。
情緒に対して、論理を説いても、噛み合わない。なので、どうすれば同居しやすくなるか、を落とし所の一つに考えるのも、一つのやり方かもしれない。
ところで、現在のところ、大きな新聞が取り上げる反対の流れは、漫画家などが中心だ。また、日本ペンクラブも反対の声明を出した(アサヒ・コムの記事、3/18)。
これらはほとんど、表現の自由に関する懸念、という観点で報道されている。
しかし、たとえば竹宮恵子氏が3/17の東京新聞朝刊(特報ページ)で答えたインタビューには、以下のようにある。
「社会で悪とされるものは、社会が求めるから存在している。なぜ存在するかを考えなければ。そうでなければ、いくら規制しても、違法薬物と同じで地下に潜っていくだけ」と指摘する。
この簡潔なメッセージは、「表現の自由」という文言の持つ本来の意味を示している。「風と木の詩」は同性愛や強姦を描いているため、委員会の審議の過程で質疑に入ったが、そこで問題なしと出ている。ただし、これは既に社会的な承認を経たから出てくる答えであり、出版当時はまさに顰蹙を買い、物議をかもした作品だった。
竹宮氏はおそらくそのようなやりとりとは別に、善を考えるには、悪をきちんと見つめないと心底はわからない、という至極真っ当なことを想定されているはずだ。
そこに触れた記事が出てきたのは、よかったと思う。
また、私のいう「選択の自由」は、こうしたことを学ぶために必要であり、作品を発する側、受け止める側の双方に大切なことでもあるはずだ。さらに、たとえばエロやグロを嫌う人々、それを好む人々が、同居してしまう社会でお互いを非難合戦にしないための視点だと考えている。
なお、時間が少ない中で書いため、前回触れ損ねたことを少し。
インターネット関連の立場からも、反対の表明の声はあがっていた。
Internet Watch、3/12の記事では、「東京都地域婦人団体連盟(東京地婦連)、東京大学大学院 教授 長谷部恭男氏、ネット教育アナリストの尾花紀子氏、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)、ECネットワーク、電気通信事業者協会(TCA)、テレコムサービス協会(テレサ協)、日本インターネットプロバイダー協会(JAIPA)、モバイル・コンテンツ・フォーラム(MCF)、CANVAS」といった諸団体が反対している。
さらに、ネットビジネスイノベーション研究コンソーシアム(Google、Microsoft、DeNA、Yahoo! Japan、楽天などを含む)からも反対が出ていた(同誌、3/15の記事)。
インターネットに関する懸念が新聞にほとんど掲載されないのは、ひどく気にかかる。
この条例案は、インターネットや携帯電話についても踏み込んでおり、都が推奨する携帯電話の機種を指定する、といったことも文言に含まれている。機種選定等はそれこそ親子で決めることであるはずだ。
インターネットは、いきなり様々なコンテンツにアクセスできるため、より「選択の自由」を強く深く意識して、子供に教える必要が出てくる。その過程においては、技術的に実現できるフィルタリングなどを適用して、一定の年齢以下の子供を保護する必要も出てくるだろう。
ただし、そのフィルタリングについては、複数のパッケージがあって、それを親子、あるいは所属コミュニティなどで選択できるほうがいい。一意にすべての人々が、同じフィルタリングを使うことを推奨されるような事態も、かえって学びの機会を奪いかねない。
というのは、フィルタリングのパッケージが複数あり、また設定のパターンも選択できるなら、年齢があがるにつれてフィルタリングをゆるくしていくことも可能になるのではないか。その時点で親や教師やコミュニティの人々が、なぜこうした制限が解除されるのかを子供に伝えたり考えさせたりする機会も作れるはずだから。
今後の報道においては、新聞にもぜひインターネット関連のことに触れていただきたいものだ。
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