文化・芸術

2008.09.28

渋谷もいよいよか

先日、渋谷のギャラリー・ルデコで様々な写真展を観た。ビルの6〜5F、3〜2Fが写真展。たくさん観過ぎてゲップが出そうなくらいだった。
やはり場数を重ねた方々は、展示に強さがある。
逆に1年くらいの初展示の方々は、もっとあばれてもいいんじゃないかな。たとえば、モノクロ写真はかなりいろいろなことがやられてきた分野だけに、ちょっとノスタルジック、あるいは今の不安な空気、あるいは少しきれいな写真などはほとんど印象に残らない。
そんな中、突然、森山大道の写真が目に飛び込んで驚いた。写真家が所有するオリジナル・プリントの重みは、New Yorkの雑踏の空気を気合いで切り抜いた力に満ちているのに、静謐ささえ漂う。写真が芸術だとわかる瞬間である。

***

帰り道、旧東急文化会館(今は副都心線中央改札に至る出入り口)の裏手に足を運んでみた。東急東横線の改札から長い廊下を渡った先である。
ちょっとコチャコチャしたクランク状の道に、書店や飲食店がたくさんある。東京ならではの光景。
モスバーガーは東急文化会館の少し後になくなっている。でも、ドトールもルノアールもあるし、規模を半分にしても山下書店が営業して…

山下書店は9月18日に閉店していた。
この地域の再開発に伴って、とのこと。
そういえば、向かいのマツモトキヨシは閉店セールで、商品がかなり減っていた。そこをお買い得品がないか、目を皿のようにして歩き回る会社帰りのOL達が行き来する。

銀座のビルの歯抜けが少しずつおさまってきた昨今、新宿は東映や松竹が建替えを完了すると、伊勢丹脇の銀座アスターの入っていたビルがなくなった。他にも建替え中がちらほら。
渋谷では4年後を目指して、東急東横線と地下鉄副都心線の連結を目指している。その周辺のビルに手が入るタイミング、というわけか。

でも個人的には、21世紀に入って早々、東急文化会館に続いて、宮益坂に面した書店がなくなった時、この街はもう決定的に変わっていくんだな、と思った。古いビルの1階で、みっちり書物を詰めた書店が、あそこで生き延びるのはたいへんだったはずで、それがなくなるということは、あの街にとって文化の意味が変わっていくということだ。
いずれにせよ、あの界隈を刷新した甲斐があったと思える、新しい顔になってほしい。

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2006.10.13

日本のメディア芸術100選

文化庁主催のメディア芸術祭10周年を記念して、「日本のメディア芸術100選」の投票が行われ、10月に結果が発表された。
結果はこちらのサイトを参照のこと。

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2005.12.19

パパ・タラフマラ「Gold of Hearts--百年の孤独」

独特の時空間を醸し出すパフォーミング・アーツ・グループ、パパ・タラフマラ(以下、パパタラと略する)。
彼らがガルシア・マルケスの名作「百年の孤独」をベースにした公演を行った。これは行かねばならないと、東京公演(世田谷パブリックシアター、12/10)を観てきた。

***

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2005.08.05

写真展「Off Road Journey〜旅するモンゴル」

あっつ〜〜い!

…久々の更新で取り乱して失礼いたしました。
それにしても8月に入った途端、ほんとーに暑くなった。
今日は晴れて湿度もそれなりに高く、気温がぐんぐん上がる。
しかも、オープン当初のiTunes Music Storeを見に行くと、まだサーバの調整中らしく、ちょっと不安定…

***

そんな中、今日しか行けそうにないので見てきたのが、ギャラリー・ニエプスで開催中の写真展「Off Road Journey〜旅するモンゴル」。
Studio KenKen 本館の「おもしろそうなイベント」で紹介済み。)

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2005.07.20

王子ホールのエレクトラ3部作におけるコラボレーション

先日、簡単に触れた笠松氏の音楽劇「エレクトラ3部作」
私は初年度を見逃しており(熱で倒れて行けなくなった)、第2部と第3部のみの観賞だった。残念であるが、仕方ない。全体に関する感想は書けないのだが、2年連続で観て聴いて、感じたことを簡単に記録しておく。

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2005.07.17

王子ホールのエレクトラ、完結!

今年も「王子ホールのエレクトラ」がやってきた。
王子ホールが作曲家の笠松泰洋氏に委嘱した室内楽編成のオペラ。蜷川の「グリークス」で音楽を担当した笠松氏が、作曲だけでなく台本構成も行った作品であり、当日はタクトもとる。
演奏家は8名。歌は1〜2名、これに語りとダンスが加わって、コンサート形式とは思えぬ多面的な新作音楽劇だ。
3部構成をとり、1年に1部ずつ上演。今年は完結編「弟 オレステスの放浪と帰還」。

昨年の興奮はすごかった。父(アルゴス王アガメムノン)の仇を望む姉エレクトラが、弟オレステスとともに母とその愛人アイギストスに剣を向ける。復讐は成功するが、母殺しの罪を負って錯乱してしまうオレステス。
1幕で休憩なしの上映、しかも大きなクレッシェンドをうねりつつ形成していって、そのクライマックスでズドン!と幕切れになった。

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2005.04.10

写真展ふたつ(渋谷の2Bワークショップ写真展/根津・千駄木のネコ写真展)

9日の土曜日。所用の帰り道、渋谷のギャラリー ル・デコ 2Fで、ワークショップ2B写真展 vol2「旅するカメラ」を見る。
夕刻、日が長くなったなぁ、風が気持ちいいなぁ、咳がおさまってきてよかったなぁ、なんてひとりで歓びながら到着すると、ちょうど乾杯だった。
ワークショップ2Bは写真家渡部さとる氏が主宰している。第1〜2期卒業生のグループ展が昨年行われ、けっこう楽しく見ることが出来たので、今年も行くことにした。
今年は箱が大きくなり、人数も写真の点数も多くなっている。お客さんの数もすごく多い。それぞれの写真はおもしろく見ていたのだけど、点数が多く、各人のトーンがまったく異なる。
トーンや表現の落差が大きいのだ。ある写真に意識をチューニングすると、次の写真に行くときに、いったん床や壁を見て目を休めないといけない(ちょうどお酒やお茶を鑑別する際に、水で口の中を調和するみたいな感じだ)。それを繰り返していくうちに…
ちょっと写真に酔ってしまったのかもしれない、クラクラしてきた。もっとすいていそうな日を選んで行けばよかったのかな?
しかし、見ごたえあるな、と思った写真やブックを展示されていた方が、キヤノン主催の写真新世紀で入賞された方だとわかったり。それ以外にもインドの写真などなかなか楽しかったり。
こちらは10日でおしまい。もうちょっと早くここでも触れられればよかった。

10日は、橋本とし子写真展「ニャーとシャー」。いや、写真酔いを写真でなおすなんて気持ちはなし。フライヤーに使われていた写真がすてきだったのと、会場になっているCAFE NOMADにすごく興味があったため。
まずは第1会場、谷中銀座からほど近い千駄木のショップ&ギャラリーnidoへ(←リンク先のExihibitionにフライヤーの写真があります!)。
こちらでは、子猫時代の写真が、ショップの雑貨と一緒に小さく並んでいた。写真家と少しお話できたので、猫とのなれそめ(?)を聞いてみた。ある日、身重の猫がベランダにやってきて、かつお節をちょっとあげたりした。それからしばらく見ないな、子猫が生まれたんで、どこかに身を潜めてるのかな、と思ったら、なんと自分の押し入れに、子猫と一緒にいたのだそうな。そのまま一緒に暮らし始めたのがきっかけ、とのこと。アパートの一室、もちろんペットは禁止。結局、大家さんと話して、出るときに部屋を店子がきれいにするから、という条件で許可を得たそうだ。子猫の写真は、生まれてきたことがうれしくて仕方ないような写真ばかり。
こちらは点数は少なめ。工房兼ショップ兼ギャラリーの空きスペースで、とってもフェミニンな雰囲気。

続いて、15〜20分ほど歩いた根津駅近くのCAFE NOMADへ移動。いわばこちらが本会場。壁に大きな写真、ほかに2冊のブックが用意されていた。
二度と撮ることのできないシャーの子猫時代は、つきあうことになった母子の様子を、飽きずに見つめている空気が伝わってくる。ネコバカの写真といってしまえばそれまでだけど、かまおうとするんじゃなくて、じっと見つめる愛情とでもいう空気が伝わってくるな。母猫がいるから、飼い主が母にならなくてもいいことも、よかったんだと思う。
大人になってからの写真も、二匹はなかよく暮らしている。中でも、都会のアパートを引っ越してから、田舎の草むらにいるところがいい。猫の身体がとっても伸びやか。
きっと、おこってるところや、びくびくしてるところなんかも、いっぱい撮ったんじゃないかな。そういう写真も見たいな、と思った。

こちらは4/12(火)までやってます。もう少しやってるので、行ける方はどうぞ。

ちなみに、CAFE NOMAD
光がよく通り、かといって明るすぎということもない。しっかりした味のブレンドは、ポットでやってくる。ホットサンドは具を6種類の中から2種類選べる。私はハムやチーズをベースにしたものを頼んだ。オリーヴオイルを使っていて、チーズやハーブの香りもよく、文字通り熱々でおいしい。
お腹いっぱい、コーヒーもたっぷり。写真を見に来た人、本を読みに来た人、デートの最中、友だちと待ち合わせ、近所のおじさんやおばさん、ほんとにいろんな人たち。
いい店だ。カフェの基本がきっちり満たされてる。だからだろう、次から次へと人がやってくる。
私は写真を見て、積ん読だった津島祐子「ナラ・レポート」の後半を読了した。
まー、たまにはこんな日もないとな。

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2004.09.18

渡部さとる写真展 「PORTRAIT−PORTRAITS」1カット15分の出会い

Studio KenKen本館の「おもしろそうな催し」でも紹介している、渡部さとる氏の写真展へ。

1990年代から昨年10月までに撮影された、ポートレイトの数々。すべて国内外第一線で活躍されている方々のもの。
入ってすぐに目を引く美輪明宏の写真。そこにいて、こちらを見通すほどの眼差し。生のプリントは、色と情報量が圧倒的。写真も絵も、可能ならば生で見るに限ると思う瞬間。藤村俊二の穏やかな、品のある光の加減もすてき。
藤沢周の写真も目を引いた。鎌倉の寺の、ちょっと湿った匂いを思い出させるプリント。そこには、淡い光の中に凛とした輪郭の顔がある。最近の写真と、顔つきが違う。渡部氏の解説に、昇り調子の人が持つ独特のオーラが出ていた、この後で芥川賞受賞、とある。

緊張感漂うもの、佇まいの雰囲気を味わうもの、ちょっとした狂気が魅力のもの。数々の写真の最後に、ジェームズ・ラブロック夫妻がある。見ているだけで、幸せな気持ちになれる。夫妻の穏やかな笑顔は、なかなか理解されなかったガイア理論提唱者を支え合ってきた、山あり谷ありの生活の果てのもの。
包み込むような暖かい光のこの写真は、海外のヴィジュアル誌に載っていても全然違和感がないんじゃないかな。
会場にいる氏にうかがうと、やはり大好きな1枚、快心の1枚だそうだ。

とてもいい気分で外に出ると、海の香り。銀座は海風がすぐに吹き寄せてくるんだなぁ。

ポートレイトがこれだけ並ぶもの圧巻なら、それぞれの解説も読み応えあり。2000年あたりを境に、写真のテイストががらりと変わるのも、楽しいです。
21日まで、入場無料。銀座コダックフォトサロン。

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2004.09.09

水上勉氏、逝去

作家の水上勉氏が逝去された。昨日、外出先で知った。帰宅して、新聞でも確認する。享年85歳。

アサヒ・コムの記事(9/8)

YOMIURI ONLINEの記事(9/9)

どちらも「飢餓海峡」や「五番街夕霧楼」に触れているけど、「一休」などに触れているのは朝日のほうなのね。私は氏の小説がもっともよく売れていた頃は触れておらず(まだ幼かった)、「一休」が発刊されてだいぶ経ってから入った。大学生の頃、哲学や宗教や心理学や認知科学などの本に埋もれている中で読んだ。理屈を超えた生身の人間の濃さを一休に見出した直後に、見つけた。水面に浮上して呼吸をしたような気分になった。水上勉氏と柳田聖山氏の一休が、私にとっての双璧。
それに、もうひとつ。京都を散歩するのが好きな私にとって、鍵善良房の喫茶部でくずきりを注文したあと、そこにある水上勉氏のくずきりについての文を読むのも好きだった。何度触れても飽きない。今のきれいな建物になる前、真夏に2階へあがって麦茶とお干菓子でほっと一息ついた時、ふと目に入った。それ以来、何度読んだことだろう。

晩年の「電脳ぐらし」も含め、ご尊敬申し上げておりました。素敵な方が亡くなられるのは寂しいけれど、どうか安らかに。合掌。

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2004.07.17

王子ホールのエレクトラ、圧倒的!!

王子ホールの自主公演企画で、3年かけてギリシャ悲劇「エレクトラ」をコンサート型オペラとして見せるもの(企画側はライブハウス型オペラと説明している)。蜷川の「グリークス」で音楽を担当した作曲家、笠松泰洋氏が台本構成から作曲と指揮、さらにプロデュース的なところまで担当。
今年は2年目、第2部「エレクトラ」。全体のクライマックスにして、もっとも劇的になると思われる部分。昨年、夏風邪で寝込んで行けなかった恨みを、今年ははらす事ができた。

今日は時間がないので詳細までは書けないが、すごかった!
1時間15分、休憩なしの一幕。穏やかな子守唄から始まって、幕切れのクライマックスまで、全体が大きなクレッシェンドのように息づく。導入で一気に観客の呼吸をつかむソプラノの飯田みち代。そして、麻美れいが一人で全役を語り分ける、超絶的な語り。そこに、YOUYAの踊りが、感情が昂ってくる要所で、一身にその情感を引き受ける。

圧倒的なソプラノの表現力! 単に歌唱力だけでなく、役に入り込んで、かすれ声から超高音の訴えかけまで、語りと相互に高め合っていく。
また、麻美れいの語り分けのものすごさ! 蜷川のギリシャ公演凱旋直後であるが、それだけでない、なんというか、古典悲劇をやるために生まれてきたような、生々しく格調高く情感豊かで、しかし決して溺れることも崩れる事もない、ものすごく高いテンション。千両役者の名演技に、見惚れた。

古典調律のピアノ(平均率のような3度の濁りが少ない)、ウードなどの中近東ウード/サド/ドタールといった中東〜中央アジアの弦楽器、またクラリネットと弦楽器の柔軟な響き。室内楽編成のオケは、悲劇的な台詞が展開しても、むしろクールなところさえある。それが歌とともにテンションを上げると、客席に戦慄が走る。

これらがあいまって、痛く、きしみ、そして人間の裸が正確に描かれていく。
それが最高潮に達したところで、斧で切り落とすように舞台は閉じる。

千両役者を得ての公演は圧倒的。残りの日程は17〜18日(土日)だけど、今日も大入り満員だったし、当日券はあるのかしら。でも、確認する価値はあるはず。

で、私は見終わって「第3部まで1年待つのか…」
高い密度で圧縮された悲劇のクライマックスで、ズバッと断ち切られたままホールを出なければならず、胸と身体がミシミシいったまま歩き出した。
来年の第3部で、おとしまえをつけさせていただきます。>スタッフの皆様

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2004.06.14

YES オノ・ヨーコ展 @ 東京都現代美術館

日本で初の大規模な展覧会となる「YES オノ・ヨーコ展」。皮切りの水戸芸術館に行き損ねた。今度の東京都現代芸術館にも行き損ねると本当に見逃すので、ちょっと前に書いたように時間をやりくりして行ってきた。

受付をしてすぐに迎えられるのは、ロビーに立ち並ぶ大小様々な大きさの棺と、その窓から立ち上がる木々。すでに有名な「エクス・イット」。小さい棺を囲むように、大きな棺が二つ並ぶ様など、想像がひどく刺激される。
企画展示会場に入れば、すぐに聞こえてくる「コフ・ピース」(断続的に咳の音が聞こえる)。そして、オノ・ヨーコの初期作品。私家版として500部制作された「グレープフルーツ」の展示から始まる。続いて、絵画ではなく、パフォーマンスの方法を指示した言語によるメモ。こうしたメモは後に、ニューヨークでの個展で作品として結実していった。

しかし、ショックだったのは、はしごにのぼって小さく書かれたものを虫眼鏡でのぞくと「YES」の文字が見えるというあれ…
なんと「作品には手を触れないでください」で、のぼることも、虫眼鏡でのぞくこともできないのである。数十万人が触れることを考えれば、作品保存のために仕方なかった措置なのかもしれない。また、現在は、もっと違う見せ方をするからなのかもしれない。ただ、なぜこうしたかはともかく、彼女の有名なメッセージの一つである「YES」を、直接目にすることが出来なかったため、かなりびっくりし、かつ落胆もした。

しかし、初期作品の中に通じる、非常にミニマルな設計と、あえて素人くさく作ったような造形とが、1960年代という時代をくっきり浮かび上がらせている。同時に、作品が単なるメッセージ伝達手段なのではなく、人間という存在を深くしっかり感じるために提供されていることも、浮かび上がってくる。
ところで、電話が設置してあり、ほんとうに電話がかかってくるのだそうだ。私がいるときはなかったが、実際にオノ・ヨーコからの電話をうけた人がいるそうである。というのは「ウィッシュ・ツリー」にそれがうれしかったと書いている人を見かけたので! これから行く方、かかってくるといいですね。

***

オノ・ヨーコの作品は、単に「鑑賞する」というより「体験する」と呼ぶほうが正確だ。
たとえば、アクリル製の迷路に入ってみる。周囲を見回す時に生じる不安感。透明なのに、縛られているような感覚が蜂起して、いたたまれないような気持ちでたどりつくと、そこにあるのは便器。
こういう体験型の作品は当然、イヴェントの記録としてのムービーにたどりつく。

伝説のイヴェント「カット・ピース」のムービー。オノ・ヨーコは舞台に座っている。参加者一人ずつが登壇して、服を切り取っていく。もちろん、ただの観客も大勢いる。
切り取る人々は男女を問わない。その都度、ハサミの堅い音が響く。次から次へと。黒い服が切り取られ、やがて肌着が見えるところまで至る。
硬い表情の彼女の緊張が伝わってくる。最後、ブラジャーの肩紐をパチンと切ると、彼女は胸を両手で押さえる。
精神のレイプなのか。20分弱のムービーは、見終わるとズキズキ痛くなる。話を聞くのと、体験するのとでは、これほどまでに違うものか。奪い・奪われていく様々な出来事−−−それは権力による略奪から、戦争にまで様々な人を圧迫する事態を連想させる。
ちなみに、このイヴェントは、仏教説話からの発想で、むしろ与えるものなのだという。しかし、このムービーは、そんな穏やかな心境で見ることは出来ないものだった。

また、ニューヨークの1室で、女性が一人、全裸で横たわり、蝿が歩いていくだけの映像を収めた「FLY」。蝿のアップがほとんどのシーンを占め、そこに羽音とも環境音ともつかぬ不思議な声を、オノ・ヨーコがいれている。
オノ・ヨーコはジョン・レノンとともに制作にまわっており、アクトレスが出演。よく承知したもんだ。
まるで死体を連想させるようなこの作品、私は仏教にある不浄観(人の死をみとり、さらにその死体がなくなっていくまでを観察する修業)まで連想してしまったが、作品自体にそのような雰囲気はない。人間の肌が砂丘に見えたり、そこを歩く蝿が別の生き物に見えたり、そこからカメラをひいた瞬間に「あぁ、人間だったんだ」と思い直してみたり、常に聞こえる声が不思議と不快感をもたらさなかったり。感覚が常に新鮮に保たれたまま、カメラが窓の外に向かっていって、作品はおわる。最後の静寂が醸し出す余韻は、脳の中をシーンとなだらかにしていった。

他にも尻のアップだけが延々と続いたり、ジョン・レノンの顔のアップが続いたり、建設中のホテルを完成まで撮り続けたりするだけの作品が、名状しがたい解放感をもたらす。形から自由になると、もっと多くの感覚が立ち上がってくる、そのことが解放感にくっきり結びついている。
翻って、2001年の横浜トリエンナーレに出品されていたビデオ・インスタレーションの多くが退屈だったこと。
オノ・ヨーコはクラシック・ピアノと声楽を、幼い頃から訓練してきた。つまり、絵や彫刻といったものだけでなく、時間芸術の訓練から始まっている。時間経過の中で生じる印象や感覚の変化に一際敏感な人間が、音楽の訓練を受けた。そして、音と画面の時系列変化が総合的に作り出す「体験」を、意識の流れとともに制御しながら伝える手法を、指向していたように見える。だから、作品設計メモからイヴェント、そしてムービーを通じて、新しい表現の地平を切り開くことに成功したのだと思う。
それは、彼女を「単なる前衛の女司祭」という地位から解放し、その解放感自体が当然作品にも反映されているのではないだろうか。

***

最近の作品では、素人っぽさを排除して、きっちりした造形の中からふっくらメッセージが立ち上がってくる。3階まで吹き抜けを利用した「モーニング・ビームス」は、シンプルで大掛かりで真っ白で、そうして凛々しい。また、真っ白なチェス盤と駒(敵味方が判別付かない!)のユーモア。参加型作品でも、願いを紙に書いて木に結びつける「ウィッシュ・ツリー」のように穏やかなもの。
ただ、一番新しい作品である、驚くほど多数の点描画の集積。これを見ていると、むしろ表現に厳しい姿勢を保つがゆえに、穏やかな解放が感じられると思えるのだ。
というのは…昨年、パリで彼女は「カット・ピース」イヴェントを、自ら行っているのである。無論、今の世の中を踏まえてなのだが、「美術手帖」の記事を見る限り、彼女の表情はここで展示されているムービーよりもはるかに穏やかに、そして厳しく厳かに見える。歳月を経て、以前よりはるかにストレートに表現されているようだ。

「イマジン」とはいっても、単にホケーッと想像するのではない。人間の様々な暗黒を前にしてもなお、世界の平和と人間の自由を想像するのだ、想像を通じてしか人は現実を変えられない、という姿勢が、一生を通じてまったくブレることのない、希有の存在。
深く打たれる。「YES」のはしごを上れなかったことは落胆したが、そうであっても、これほど強いメッセージと感動に満ちた作品群は、まず見られるものではない。時間をつくって行って、ほんとうによかった。

できれば、横浜トリエンナーレで見た、機銃掃射で穴だらけ列車から発するレーザー光線を、ここでも見てみたかった。東京で見たらどうなっていたのか。

東京都現代美術館で、6月27日まで(月曜休館)。1,000円。

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2004.06.12

訃報・野村万之丞氏

狂言師の野村万之丞さんが死去(アサヒ・コム、6/10)
おくやみ/野村万之丞さん=狂言師(YOMIURI ON-LINE、6/11)

44歳とのこと。神経内分泌がんだという。ショック…
先日触れたピアノフォルテ奏者の小島芳子氏と同年代、がんというところも共通している。

私は能や狂言には詳しくない。ただ、野村万之丞氏の仕事にあった、伎楽や田楽などの復興は、気になるものだった。ある意味、西欧音楽の古楽器復興と似た側面を持っている。
どちらも、その時代に本当にそうやって演じられていたかは、もちろんわからない。文献や残された楽器・面・衣装、周辺諸国の音楽や舞踊の事情などを調べ、その結果に加えて、演じる者の直感も総合していく。そうした試みを通じて、踊りや響きを感じ直す。それが既存の演目の目や耳に新しい風を通し、演技・演奏・演目に活力をもたらしていく。
単なる伝統への挑戦ではないだろう。むしろ、伝統を活性化することが、真の目標であるはずだ。
ただ、こういう仕事をする方々は、世間の誤解や圧力をはねのけながら進まなくてはならないだろう。心身に加わる圧力は、大きなものだったのかもしれない。

ご冥福をお祈りいたします。

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2004.05.25

芥川龍之介展 @ 神奈川県立近代文学館

横浜の近代文学館」で軽く触れたまま、放置していた。もう一度見に行く機会があればと思っていたけど、いつになるかわからなくなってきたし、感想を書いておく。

朝日新聞夕刊の文化欄でも記事が出ていたし、行けば掲示されているのだが、芥川龍之介展は県立神奈川近代文学館20周年記念でもあり、12年前の芥川展で最多の入場者数を記録した上に、再開催の要望が多かったからだという。そういえば、開高健展などはそこそこの入り、それに比して谷崎展や中島敦展などは意外に入っていた(もちろん漱石展は混雑していた)。文学という言葉に某かの感慨を抱いて行く人々の年齢層を考えると、大正文壇作家および教科書掲載作家のほうが人の入りがいいのかもしれない。(最近の教科書掲載作家はだいぶ変化してきているようだけど。)
今回は土曜日に行ったせいか、特に混雑していた。しかも、手記・手紙や蔵書などの展示も多く、丁寧に文字を読んでいるとあっという間に2時間が過ぎる(さらさら見れば1時間もかからないだろうけど)。私は後半、飛ばして見る事になった。もしも行かれる方で、ゆっくり読みつつ見ていくつもりがあれば、閉館時刻は午後5時であることを念頭に組み立てられたほうがよいと思う。

***

展示会全体は、生涯に沿って、写真・記録・手紙・原稿・メモ・絵などを陳列したもの(生い立ちに関するところは家系図もある)。「横浜の近代文学館」で、旧制高校在学中から海外の原書をかなり読み込んでいたことに触れたが、むしろ日本の怪異譚を集めてはまとめていたことも、印象に残る。王朝ものだけでなく、「堀川保吉もの」「河童」などにも時々見られるゾクッとするような肌触りを連想させる。

今回の目玉は、漱石が芥川の「鼻」を激賞して文壇で高名になった(1916年)直後、小説の依頼がきて書いた作品が、どうにもいい形に定まらない不安を漱石に向けて書いた手紙(プログラムp.8に収録)と、その返事だろうか。悩む芥川に対して、ちょっと考えすぎていて運びがスムーズでないところもあるが、クライマックスのくだりはよく、なにより普通よりはずっとよいのだから、悩みすぎないことだ、何本も書くとわかるようになってくる、といった内容のことが記されていた。
この作品は、「芋粥」である。確かに「鼻」ほどのインパクトはないが、よく知られた作品であり、当時から評判がよかった。自作に対して、厳しいバランス感覚の批評眼で接していたことが垣間見える。

そうして漱石は亡くなり、芥川の初の著作「羅生門」が発刊され(1917年)、時代の寵児への道を歩き出す。同年、薄田泣菫(大阪毎日新聞文化部所属、詩人としても有名)から新聞小説連載の依頼があり、「戯作三昧」に結実。
この頃、鎌倉で教師(海軍機関学校英語担当)と創作の二重生活をしており、その脱出を試みている。結果はよく知られているように、薄田泣菫に話をして1919年、毎日新聞の文化部に移り、職業作家になる。その直前に、慶応義塾の知人に話をして、東京の大学での職業も模索していた。実は、東京に戻ることも大きな目的になっていたようだ。確かに創作に関して、人に会い、資料を得て、ということを考えれば、東京のほうが有利だったのかもしれない。その後は「田端文士村」での生活となる。
おもしろいのは薄田泣菫の求めに応じて一生懸命、新聞連載を心がけていること。なかなかうまくいかないのだが、新聞社に入る前から「給金をもらっているのだから」と何度か試みている(契約でお金をもらえるようになっており、すでに生活には困っていなかったようだ)。
結局、1920年を最後に新聞連載は行われなくなるのだが、妙に律儀な性格だったのだ。

この性格が、終生ついてまわる。1921年、大阪毎日新聞本社に呼び出され、中国特派を打診される。そうして、なんとかケリをつけて出発するものの、直前にかかった感冒がよくならず、特派員記事も満足にかけぬ状態で、予定を切り上げて帰国。その後も体調不良と不眠を抱えたまま、原稿の依頼や督促に律儀に応えようとする。睡眠薬の常用と、王朝ものを書かなくなるのがこの時からという。
律儀な性格は、晩年に至って、自分の家族が経済的な問題で苦しんでいることに際して、親族会議を開いて支援を約束したり(書面に残っている)、改造社の日本文学全集(いわゆる円本)の宣伝のために講演旅行に参加したりと、様々な面に出ていたようだ。心身をすり減らしていったようでもある。

自殺直後の新聞報道が展示されており、当時の衝撃の大きさが伝わる(後追い自殺者が出たのである)。これに匹敵する扱いは、三島由紀夫のニュースが最後だろうか。
菊池寛の弔文、死後の全集作成にあたっての佐藤春夫の言葉なども展示。有名な、宮本顕治が雑誌「改造」の懸賞論文で一等になった、芥川の死を扱った「敗北の文学」もある。(ちなみに、この時の次点が、小林秀雄「様々なる意匠」であるのも有名な話ですな。)

展示会のサブタイトルは「21世紀文学の預言者」である。
会場の至る所に掲げられている「侏儒の言葉」などからの引用。このアフォリズムは、文藝春秋巻頭言をまとめたものである。ちなみに、最近の作家でここまで影響力を持った文藝春秋巻頭言は、司馬遼太郎だろうか。晩年の芥川のキリスト教への傾斜と、遺作「続・西方の人」も当然とりあげられており、ここからも預言者というイメージが立ち上がるのだろうか。
21世紀文学の預言者としての言葉を拾う、という趣向らしい。

***

この趣向が成功しているかどうか…正直にいえば、よくわからなかった。そんなものはなくても、おそらく多くの人がそれなりに様々なイメージと言葉を受け取って帰っていくはずだし。

私が展示されていれば嬉しいと思っていた、初版本の装丁などはあまりなかった。大正時代の装丁はいいものが多いのだが、今回はあまりお目にかかれず(谷崎展ではかなりあった)。
一方、自筆の絵はがき、晩年の河童の絵などが展示されていた。作家が望んではいないのかもしれないが、目に何がとらえられているかが垣間見えて、こういうもののほうが原稿よりおもしろい。もちろん、手紙や手記などは原稿とはまったく別の面白さがあるが。
もっといえば、芥川也寸志がTVで語っていた父の記憶として、SP盤でストラヴィンスキー「火の鳥」などを所有して、聞いていたという話もある。この話に、私はひどく打たれた。当時の現代音楽を、聞いていたわけだ。
(もっとも「火の鳥」は1910年の作品、1920年代にストラヴィンスキーは古典回帰などと言い出して、作風が変化していったのであるが。)
芥川のイメージと、「火の鳥」などの響きは、離れていそうで意外に近くないだろうか。豊麗な響き、急に飛び出すガクガクとしたリズム。そういうものも集めると、晩年の芥川の作品にある、おだやかなようでいて、どこか乱れた、独特のリズムとも通底するものがあるかもしれなかったなぁ、などと思う。せっかく五感を活用できる場なのだし。
そんなことを雑然と考えつつ、プログラムを買って、出た。

あれこれ書いたが、質量ともに大規模であり、作家の生涯と作品を一覧するにはまたとない機会でもある。ご興味があれば、ぜひどうぞ。現在開催中、6/6まで。

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2004.05.05

この記事か

朝日新聞に、アイヌ料理店レラ・チセを開かれた故・佐藤タツエ氏の記事がある。
  首都圏初のアイヌ料理店十周年 誇り伝えた女性店主追悼
  (オフタイムのパーソン欄)

今日の朝刊でも記事になっているようだ。亡くなられたのは昨年12月31日とのこと。本日、西新宿の常圓寺で式典が開かれるので、掲載されたようだ。
この記事のためか、写真展「アシリ・レラ」への参照数が増えているみたい。

私はアイヌ文化について某かのことを語るほど深くコミットしていない。
ただ、写真展「アシリ・レラ」でレラ・チセに触れた時に書いてなかったので、ここで。

レラ・チセで食事をしたものとして、深く御礼申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。

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2004.04.11

写真展「アシリ・レラ」

4月9日、四谷の写真専門ギャラリー Days Photo Galleryにて開催されている写真展「アシリ・レラ それはアイヌ語で『新しい風』」に行ってきた。

アシリ・レラさんは、知る人ぞ知るアイヌ女性。山道アイヌ語学校を主宰しながら、環境問題・平和問題に取り組み、講演などの出演多数という方。
12年に渡って撮り続けてきた写真家、宇井眞紀子氏の写真展が、4月6日(火)〜11日(日)。そして、アシリ・レラさん出演のトークイベントが数度開催された。私は9日(金)の部に申し込んだ。

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