考える

2009.06.08

先日の梅田氏インタビューについての補足

先週末にMacが入院。
いつもの環境がないと、代替環境はあっても、いろいろメンドー。

それはそれとして、先日の梅田氏のインタビュー記事について、早めに補足。
とはいえ、私のものではない。

Twitterで見つけたもの。
梅田望夫進化論(モジックス Zopeジャンキー日記から、2009/06/08)

これを読み、私もすぐ同じ考えをもったり、まして自分のエントリーを取り下げようと思ったわけではない。
しかし、おそらく梅田氏の考えをこれほどきれいにトレースしているネット上の記事は、他にないと思われる。
梅田氏を叩いている人が多いようにも見受けるが、こういう記事があることも読んでほしい、というよりむしろこういう記事にも目をとおすほうがフェアだ。
とりあえず、これだけは上げておく。

[翌日追加] 他ならぬご本人がブログで書いておられました。念のためにさらに追加しておきます。

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2009.06.03

梅田氏の「残念」なインタビュー

すてきな音楽を聴いて来たのだけれど、それはまた明日以降に。

ITmediaが梅田望夫氏へのインタビューを掲載した。
  前編後編

しかし、「シリコンバレーから将棋を観る 羽生善治と現代」の出版記念で行われた対談で、将棋については後編の後半くらいしか使っていない、というのも、なかなかすごいインタビューではあるが(苦笑)、それはさておき。
[補足] ちょっと皮肉っぽい口調だけど、別に「だましうちだ」などと思ってるわけではないからね。むしろ、後半の将棋のことも含めて、聞きたいことをよくここまで踏み込むもんだと思ったから、触れたのです。

***

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2009.05.26

溢れ出す動画は精神活動を変えるのか

ブロードバンドが安価に普及した日本では、多くの人がネットで動画を当たり前のように見ている。
基本的には活字やマンガのほうが好き、テレビはつけっぱなしにしない、ゲームはほとんどやらない…そんな私でも、YouYubeやニコニコ動画などは見ている。

ニコニコ動画はある意味、おそるべきサービス。
昨年社会学や情報学などで取り上げられたような、動画そのものだけでなく、コメント/タグ/市場の三位一体によるゲーム空間的な盛り上がりというのは当然として。
それ以上に、ユーザが大量に作り出す動画の中には、連続するストーリーを持つものがあること。
ゲームなどのキャラを活用して、架空戦記ものを作るのはもちろん、ソ連史だの、アンケート調査の分析だの、妙に専門的なものも生まれている。キャラが紙芝居のようなセリフをテンポよく応酬しながら、ドラマのように、バラエティのように、伝えたいことを文字/絵/動画/音・音楽で複合的に伝えてくる。

Blogで書いてもおかしくないような内容なんだけど、視覚と聴覚の両方に、しかも脱力的な表現が可能だから、あえてやってみたいと思わせるのかもしれない。

PCによるビデオ編集ツールが普及した上に、紙芝居を展開させるツール、既存の絵を切り抜くツールなども多数ある。しかも、動画テレビ番組の語法については、見る側も作る側も親しんでいる。
自分の手で簡易テレビ番組もどきが作れて、それを(努力はかなり必要だろうけれど)ブログ的に発信することができる。

ボーカロイドを活用した人気音楽家も出てくるし、連続ものへのファンもついたりする。
さらに、そういう動きを察知して、コミュニティを形成することもできる。

***

こうなってくると、ビデオカメラでちょっと撮ったおもしろ動画を通り越したものが、時々生まれる。
その実例は、動画共有サービスを見ればわかることなので、一々挙げない。

それよりも考えたいこと。
Blogで書いてもおかしくないことが、動画で現れつつある、ということの意味だ。

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2008.12.30

もうすぐ2008年も終わり

自分なりに2008年を振り返っておこう(そんな時間があるなら他にすることが、などと考えるとかえってストレスたまるし)。

米国発のバブル崩壊が今年最大のニュースだろうな、やっぱり。
同時に、オバマを大統領に選出したことも、大きなニュースだ。あの、政治経済における史上空前の実験国家は、いまだに実験の途上にあるのだと実感させる選択。

世間的には北京オリンピックも話題なのだろうが、一度見逃すとなし崩し的に見損ねた。

***

むしろ、オリンピック開催中の夏は、えらく長い小説がバンバン出てきたのが印象的。

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2008.11.06

クリアな空、米国の新大統領

4日の夕刻、ふと空を見上げると、月が木星を追い越していったところ。
西の消えゆく紅の上には、暖かい光の金星。

数日前は月と金星の合だった。
月ってやっぱり速く動くんだなぁ。
というより、秋らしいクリアな空だな。
こういうものをふと見た時、なんだか得した気分になる。

翌日、今日は少し潤んでいるかな、と思っていると。
米国大統領選挙では下馬評通り、オバマが次期大統領に選出された。
ブッシュ vs. ゴアの時より、くっきり出た結果。
勝利宣言の演説は、困難に立ち向かうためにこそ、希望を持って参加しよう、と伝えるものだった。

ボランティア活動、インターネットを通じた個人の小口献金、特定のレッテルを避けつつ自らの立場を静かに語る姿などを総合してみると、インターネットを生んだアメリカ合衆国が、最初に選択したインターネット世代の政治家に見えてくる。
米国は選挙でもインターネットを活用しているという話題がよく出てきたが、ツールとしての活用ではなく、インターネットの精神(分散型ネットワークによる危機分散、オープンかつ多様なソフトウェアの共存)を具現化した姿は、これまで見られなかった。オバマはおそらく大国で最初の、インターネット世代的政治家ではないか。
(インターネット世代というと、インターネットを高校生〜大学生で経験した1970年代生まれに焦点が当たるが、1950年代後半〜1960年代生まれがその普及に当たり、後続の世代に可能性を開示した。)

これが最良の選択かどうかは別にしても、もっとも影響力のある国が、変化を選択した。
期待が集まった分、オバマの政策、言説や行動へのハードルは非常に高いものになるが、それでも変化を選んだことが、歴史に残る瞬間であることは間違いない。

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2008.10.21

わかる、への一つのとらえ方(2)

「わかる=作ることが出来る」というとらえ方について、書いた

その際、あえてこうも書いた。

たとえば工学畑の人は、こうとらえることが多い。

そして、特に文学や経済学を学んだ者には、あまりなじまない考え方かもしれない。

このあたりの違いが、文系/理系の間で齟齬が生じる時の、一つのパターンのように感じる。

ただ、私はいわゆる文系/理系の違いが、その人の根幹そのものであるとはまったく考えていない。
もしもそう感じるなら、いわゆる「文系」や「理系」に対して、過剰適応した結果なのではないかとさえ考えている。

***

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2008.10.16

わかる、への一つのとらえ方

わかる、とはどういうことか。
こう尋ねられたら、どう答えるだろうか。

ごく一般的には、ある事物について、それが何であるか、またどういう意味を持つのかを、きちんと説明できることだろう。
その際たるものが辞書、あるいは事典であり、多くの人は辞書や事典を引いて調べる。
もうちょっと高度な知識に関しては、専門的な解説書を数冊読んだ上で、背景を含めて説明する。(ま、あくまで一般レベルの話であって、本格的に知りたい場合は、専門書や論文などに目を通す研究を始めるしかないわけだが。)

ただし、こういうとらえ方もある。
「もしもわかっているなら、それを作れる、少なくとも同じ結果を再現できる」
たとえば工学畑の人は、こうとらえることが多い。
そして、特に文学や経済学を学んだ者には、あまりなじまない考え方かもしれない。
このあたりの違いが、文系/理系の間で齟齬が生じる時の、一つのパターンのように感じる。
分野をまたがった研究開発に携わったことがある身として、よく感じたことだ。

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2008.09.06

時空をフラットにする時代に

過日、「スカイ・クロラ」を観てきた(押井守監督作品)。
(「ポニョ」はまだ観ていない。)
実にたっぷりとした、濃厚な120分だった。あんなに間が長いのに、退屈しない(ただし、人によって意見が分かれるはず)。
いろいろ思うところはあるが、キーワードは「人形浄瑠璃」「すばらしい音響」「爆音の静謐」であり、「押井の原点回帰(ニルス的な意味ではなく、ビューティフル・ドリーマー的な意味で)」であるとともに、「良くも悪くも永遠の中二病」とも言える。
ヴェネツィア映画祭の結果が出るのは、もうじき。この間が、様々な国の人々から、どのような印象で語られるのだろう。結果が出てから、また書いてみたい。

***

何かあればググる、(まぁGoogleじゃなくてもいいんだけど)検索で様々なことが引き出せる、それが当たり前の世の中になった。
数年前まで、インターネット以前のことは図書館に行ったほうがいい場合もあった。
ところが最近は、誰かが何らかの形で古い書物や資料にも感想などを残していることも増えている。図書館に行く必要がある場合でも、検索してから行ったほうがいいくらいになってきた。

検索して出てくるのは、様々な意見だったり、raw dataそのものだったり、まとめだったり、いろいろだが。
インターネット以前と違うのは、raw dataや元の資料へのアクセスが、圧倒的に楽になったこと。
このため、ちょっと調べて、うまくいけば著作権を問われない様々な資料に当たることも可能になってきた。
そういうものを膨大に読み込んでいけば、大学などのアカデミズムな場に所属しなくても、知識を得ることは可能になりつつある。
ただし、それがあるからと言って、何でもすぐに読めるし、読めばわかる、とは限らない。

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2008.08.12

アンビバレントな潮風

海に行くことは楽しい。
砂利が足にからんだり、時々足をチクッと虫にかまれたりはするけれど、水に飛び込んで、泳いで、砂で遊んで、広がる浜を見ていると、考えすぎていることが頭から離れていく。
広がる景色に向かうと、細かいことから離れて俯瞰する感じを思い出すというか。

海から上がり、ちょっと離れがたく浜を散歩していると(今はいい感じの浜カフェも結構ある)、潮風が意外なくらいひんやりと気持ちいい。9月よりはゆっくり暮れる紫色の空に、一日の終わりを実感する。
デスクワークばかりの私には、これさえ珍しい。

そういえば、堂々巡りに陥った時、海水浴に行かなくなってからどうしていたかといえば、横浜に行ったりしていた。これも似たようなもんだな、きっと。
(ちなみに、お台場は、私にはちょっと人工的過ぎます。)

***

だけど、海って気分じゃない時もある。
日本の潮風の、肌にまとわりつくような湿度が、うっとうしく感じられる、とでもいえばいいか。

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2008.06.12

秋葉原、いや街の知恵とは

先日、秋葉原で起きた事件から、あの街について最近思うことを書いた
もちろん、あの街が事件そのものの原因ではなく、トラックで突っ込んでナイフを振り回した人間が犯人であり、秋葉原のあり方を云々することは犯罪防止などと直接の関係はない。
ただし、最近の目立ち方はあまりよい方向には見えない(あくまで個人的な意見だが)。

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2008.06.08

梅雨入り/秋葉原

5月末、ほんとうに久々に観劇。
熱演でいい舞台ではあったが、もう少し緩急、ことに「緩む」があると、もっと引き立ったような。

その後、ちょっと疲れてヘタり気味なうちに、関東梅雨入り。
知らないうちに梅雨に入ってた、おいてきぼり食らった、という気分。
そういえば、今年の五月はすっきりした風が少なかった。

***

折りに触れて行く場所の一つには、秋葉原も入っている。だが、ここ2週間ばかり、そんな気持ちにはならず。

と思っていたら、通り魔が出て大騒ぎになったという。
(アサヒ・コムの記事の一つ、またYOMIURI ONLINEの記事の一つ、いずれも6/8。)
亡くなられた方のご冥福を祈ります。

あの街、再開発が進んでから、観光地として注目されるようになり、さらにパフォーマンスの場ともなって、祭りの江戸以来の伝統なのかな、という気分もないわけじゃないんだが。
どうも妙にカオスというか。

電気街全盛期は、うるさいけどそれなりの一貫性もあったし、今よりは落ち着いたところもあった。
飲食店や新しいビルが出来たのはいいが、街が奇妙な明るさの躁状態みたいで、照明を落として落ち着いた感じの地域があまりない。(古くから残っているところまで行けばまた別だけど。)

エレキ(?)でもサブカルでも、突出を旨とする街ではあるのだけど、本来は地味に買い物をする街でもある。
今の雰囲気を見ていると、もう少し町全体に逃げ場のある雰囲気というか、落ち着いた一角がほしいような気もするんだけど、そういう思う人は少ないのかな。

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2008.05.20

CDは減っても音楽はそう簡単に減らない、はず

前のエントリーの最後で、往年の巨匠達のCDはカラヤンを含めて売れているが、新しい演奏家達のCDはあまり売れず、そのため点数も減っている、ということに触れた。
CDが売れないのは特にクラシック音楽に顕著だそうで(クラシック音楽という括りもあまり好きではないが、便宜上仕方ない)、西欧ではオーケストラ奏者を目指す層も以前より薄くなっている、と音楽好きがしばしば話題にする。
しかし、他のジャンル、ポップスやロック、ジャズなども同様で、iTunesなどに代表されるデータ販売などがその穴を埋められるか、ということもしばしば雑誌やWebで記事になる。

***

これで思い出すことがある。
2005年あたりに火がついた「のだめ」ブームだ。

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2008.04.29

自由と自由と統制、2つのモデルのせめぎ合い

ほんとにG.W.かという朝晩の冷え込みが続いたけど、本日は見事に暖かくなった。少し安心した。

ところで、26日に北京オリンピックの聖火リレーが、長野で行われた。
集まった中国人、またリレーの妨害工作などで騒然となり、逮捕者が出た、という報道が相次いだ。
たとえば、こんな記事(アサヒ・コム、4/26)。
また、ソウルではもっと騒ぎが大きかったことも話題になったが、それ以上に「聖火応援隊」を派遣していたという報道(アサヒ・コム、4/29)も出てきた。

うーん・・・
北京オリンピックを通じて大国ぶりをアピールするのは、やめろと言われてもやるだろうから仕方ないけど、政治体制の違う国に、自国の人間を派遣して治外法権すれすれで振る舞うとすれば、いかがなものか。
それでも中国は、コントロールのきく政治経済体制を前提に動き(それがうまくいっている、という自負さえあるはず)、半ば輸出することにも抵抗はないんだろうな。
10〜20年程度はどうにかなっても、長い目で見てそれがうまくいくと本気で思っているのだろうか。
明確な目的に向かって統制をとると、一見効率がよいが、目的そのものを見つけながら進むにあたっては、計画そのもので縛りまくるのは逆に萎縮させ、活力を奪うんじゃなかろうか。

***

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2008.04.23

法規制より、教育だろ

“青少年ネット規制法案”がしばしば話題になる。
自民・民主の双方から議員立法の動きが続いてきたが、ここにきて反対意見の表面が出てきた。
とりあえずは、新聞記事としてアサヒ・コムの記事(4/23)を、IT専門日刊紙としてInternet Watchの記事(4/23)をリンクしておこう。(日経やITmediaなどもそれぞれ記事にしている。)

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2008.04.09

いまごろ「ウェブ時代をゆく」について

実は昨年末の記事の今後の予定には「11月に発売された『ウェブ時代をゆく』雑感」が入っていた。
とっくに読み終えていたのに放置した理由は単純、3月末に向けて集中すべきことがあったためで、他意はない。

「ウェブ時代をゆく」は、Webが情報というより生活のベースになる時代に、いかに働き、生きるかについて、梅田氏流の見解をまとめている。
仕事術のような気配も少し混じり、他の著作のような、シリコンバレー発の新しい空気が流れ込んでくるような内容ではない。人によっては、特に新しい知見はなかったなどという感想も出てくるだろう。

でも、この新書の目的はそもそも、これまでのようにエッジで走り続ける人々の言動を紹介したり、それらに共通することを氏なりにまとめることにはない。
自らの半生を顧みながら、エッジには立たなかったこと(そういう人にはかなわないと感じたことがほのめかされている)、エッジに立った方々と話をしながら旧来の組織とも付き合う仕事をしてきたからこそわかることを書いている。そこが重要。
だから、旧来の組織がいきなりなくなるとは毛頭考えていないし、そういう場が活きる人ならば逸脱しないほうがいい、とも書いている。
さらに、エッジを突っ走る人々の行く「高速道路」から降りることを選択する、つまり「けものみち」(この喩えも氏らしい)を通ることを選択するにはどうするか、ということに触れている。新しい時代に、自分の関心のある業界でエッジに立つ人々と交流しつつも、まだ見つかっていない道を歩く方法のヒントを、自らの経験を交えて語る。私はこうやってきた、それをまとめてみるので、自分に続く人たちの参考になれば、という思いが伝わってくる。
そういうところを読み落としてはいけない書籍だと思う。

***

一方で、この書籍が(おそらくあえて)触れていない、日本での事実がある。
多くの場合、IT関連業というのは「IT土方」と呼ばれる、ということ。

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2007.11.19

12年一昔?

文学フリマ(11/11)からずっと外出続き。(出るとほぼ一日動き回るので、重いPCやMacは持ち歩かなかった。画面にじっくり向かうのが久々。)

この11月は、特に電気通信関連の各種イベントやらセミナーやらが多い。次へ繋がる技術が、サーバやクライアント、無線通信の三面で展開されつつあるからだろう。

2000年頃は、今月のような状況が2005年にやってくるんじゃないかと思っていた。
つまり、インターネットが世間一般に知られるようになった1995年から10年経ち、一区切りする頃に次の芽が出てくる、というざっくしりた感触を持っていた。(サーバやクライアントの技術に新機軸が出てくるだろうし、無線通信関係も3Gや無線LANの普及、さらに3.5Gや4Gを視野に据える頃だという予測。)

実際に変化の波が出揃いつつあるのが今年の2007年。Web 2.0以降のサーバサイド技術の整理と拡張(サーバマシンのマルチコア化、Javaのコモディティ化、Rubyなどの新世代スクリプト言語の普及、.NETとJavaその他の相互運用姓向上、AjaxやFlashの日常化)があり、一方でモバイル端末の高機能化(スマートフォンやiPhoneのようにPCに近づいたブラウジング環境やアプリケーション実行環境)、Wi-MAXや3.5G/4Gを視野に入れた開発)が今後の変化を押し上げつつある。ドコモの2008年PHS停波も、この流れに入りそうだ。

1995年から12年。
西洋流のdecadeではなく、東洋の干支(十二年一周り)と同じですな。
いや、だからどーってわけぢゃないんだけど、なんとなくおもしろい、と思ってな。

ちなみにもう一つ。
最近の20〜30代のエンジニアは、プレゼンテーションがうまいんじゃないかな。
ただ、導入やポイントでの笑いの取り方が、お笑い的か、2ch的、という印象。これはこれで最近の傾向ってやつかもしれない。
とにかく、眠くなるような話を延々と続ける人は減りつつある。このこと自体は素直にいいことだと思う。

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2007.11.10

さる人、ねぇ…

民主党党首小沢氏の辞任騒動は結局のところ、元の鞘に収まることで決着を見た。
小沢氏と意見が合わないにも関わらず、党首を交替させるわけにもいかない状況であるのは、民主党にとっても小沢氏にとっても、まぁ情けない結果ではある。
むしろ話題になっているのは「さる人」が福田首相と小沢民主党党首との間を取り持って会談が実現したこと、その際に連立の話題も上がっていたらしいこと、さる人は読売新聞社の渡邉恒雄氏ということ、中曽根氏、森氏らも動いていたこと、など。

辞任会見をやったから小沢氏のことが話題に上りがちだが。
男を下げたのは小沢氏だけでなく、福田氏も同様なのではないかな。
連立を許した場合、国会運営の主導権に首相周辺以外の強力なファクターが加わり、求心力は必要以上に低下する。もちろんそうなったとしても、結果的に法案がサクサク通れば、福田首相の点数にはなるわけだが、連立したからといって、そうなる保証もないだろう…いや、民主党だ、あり得るか(苦笑)。

***

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2007.11.05

やっぱり辞める意味が見えにくい

週末、4日の日曜日にいきなり発表、大騒ぎになった小沢民主党代表の辞意。
民主党幹部は慰留の方向でまだ動いている。事前の党首会談についても、辞意会見で述べた小沢代表の言い分と、福田首相の言い分とは異なっている。
小沢氏は、かねてからやろうとしていたことを、実行する機会がやってきたと思ってるのか、と憶測したくなってくる。

小選挙区制は当時自民党幹部だった小沢が力を入れた制度であり、かねてから二大政党にして、政権をとったりとられたりするのが健全で望ましいと発言していたこと。実際、自民党を離党して、細川内閣誕生に動いたこと。その後の動きも、連立と解消を行ってきたこと。

今回は民主党で、党首として参議院に臨み、過半数を押さえてからの行動だ。
自民・民主の大連立によって、大きなシャッフルの機会がやってくる。そこで政策を軸に人を分け、今度こそ二大政党体勢に至らしめる。これにテコにして、長らく続く「政権担当は一党」体勢を、政権交替可能な状況に落とし込む。現段階で選挙による二大政党は難しいから、これが一番確実。
そんなことを考えているようにも見える…が、今現在、そういうことが可能だと本気で考えているようにも見えないし。
状況を作り出そうとして失敗したのか、単に一党員として選挙に邁進することを考えていたのか。どっちにしろ、なんだかなぁ。

小泉氏の場合は、びっくりするほど高い支持率を背景に、本人が前に出て政局を作り出したけど(その是非を今は問うまい)。
小沢氏はそもそも、そういうことをする気があるかどうかも、よくわからん(たぶんないだろう)。
今後の動きを見ないとなんともいえんが、小沢氏の動き方は民主党とあまり相性がよくないのだ、なんて当たり前の結果で終わったら、それこそ泣けてくるぞ。そんなことはわかった上で、票を投じた人だって多いはずだし。

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2007.09.20

音楽の原理

ものすごくうれしい時の表現って、跳ねる、飛び上がる、天に上りそう、ふわふわと浮き上がるような、といった具合に、躍動や上昇と関わりのある言葉が出てくる。また、その時に上昇するイメージの多くは、晴れ渡っているだろう。
そういえば、子供は喜ぶと、ほんとに飛び跳ねるし、アニメーションでもその手の表現はよく出てくる。
たぶん、哺乳動物にある程度は共通の感覚なのではないか。だから、犬や猫などを見ても「うれしそう」とわかったりするんじゃないか。

生得的に味わう感情は、身体の動きや姿勢、筋肉の状態などにある程度関連している。
逆に言えば、その種の感情を味わうと、身体の動きや姿勢も、それに沿ったものになる、ということなのかもしれない。

もっと抽象的な事柄、たとえば時間などはどうだろう。
自分の目・顔があって、そこから前に見て開けている方向が、未来。
自分の背後の方向が、過去。
つまり、時間は、空間の把握と、関連して身に付いていくことを示唆する。
そして、歩いていくことと、そこで生じる時間経過との関連から、自然な比喩として受け入れられている。
この比喩に着目して、それが英語ならどう活かされているか、といった具合に、外国語の時制を学ぶケースもあると聞く。

***

音楽の場合。
音程が高い音はより上、低い音はより下のイメージにつながる。
ピッコロやフルートが高い音で吹き渡れば、上空を飛翔したり、鳥のイメージにつながりやすい。一方、コントラバスやティンパニ、大太鼓などの響きは、どっしりした大地を連想させる。ドラムやベースの太い音は、テンポの速い場合であっても、やはり足を地につけて失踪するイメージにつながる。

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2007.09.11

数年前、ふと耳にした会話から

数年前、景気回復が言われても実感の湧かなかった2003年くらいだったはずだ。
とあるカフェ(全国規模で展開している)で、移動の合間に一息ついていた。
近くのテーブルで男性が二人、話をしている。漏れ聞こえる会話によれば、カフェのスタッフらしい。高校生のバイトと、店長のことを話している。

「…で、さ、その子に注意したらさ、『あなたに採用されて雇われてるわけじゃないんですから、あなたの言うことを聞く必要はないです、店長がいいって言ったんだから!』だって」
「おぅ、それそれ」
「ほんとなんだな。まぁ明日はシフトなしってことで本部に行くからさ、その時に報告するけど」
「どうすんだ」
「罪は本来、店長にあるんだし、バイトは再教育するしかないし、それでダメなら…だろ」
「今日は店長、戻らないと思うよ。ほら、あの子が休みだからさ」
「…気付いてないと思ってんのかな。こっちが本部からわざわざ出張った意味も」
「さぁ。でも、このままじゃお客さんに迷惑がかかる一方だし、早い方がいいと思う」
「わかってるけど、一応本部の審査手続きもある。でも、新メニュー投下の前だから、きっちりやらねぇとな」

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2007.08.04

断固として夏が/レッテルで安心するな

本日、断固として夏がやってきた。
朝から暑い。風がぬるい。洗濯物は乾くけど、汗はまったくひかない。
セミが鳴きまくってる。ついでにどこぞのガキが金切り声をあげまくる。
しかたないんで、どっかに退散する。
夜、帰路でまだセミが鳴きまくってる。
ねっとりした風。あぁ、東京の夏。
せめて、猫だまりの子猫を思い出して和む。
(薄いグレー、白足袋履いたような、かわいい子。)

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2007.07.31

日本国は単なる会社じゃありません

前のエントリー「忘れ難き日だろう」の最後に、日本の戦後政治のメインストリームとして自民党や社会党、共産党などに少し触れ、メインとなる選択肢やオルタナティヴということを話題にした。
過去についての話だから、こうした枠組みに触れるわけだが、これからのことを考えれば違う話題に転ずることになる。

***

党というのは、イデオロギーや政治経済の方向を共にする人間が集まり、そこから導き出される政策を実現するための組織だ。党が複数あり、さらに巨大な政党は内部に派閥があり、それぞれが政策のパッケージを示す。有権者はそれを選挙で選択する。
しかし、実際のところ、有権者の本音は「地域振興策はこの政策がいいけど、選挙制度はあれがよくて、税制はまた…」という具合に、一つの政党が示すパッケージだけで満足しないケースも多い。
それでも、経済成長と豊かさの享受が大きな目標だった1980年あたりまでは、政党のパッケージ政策を選ぶことでどうにかなってきた。より便利で豊かに、が暗黙の了承だったので、どこがそれをもたらすかを目安に出来たからだ。
ある程度の豊かさが行き渡り始めたのと、無党派層が拡大していったのが時期を同じくしている。現在重点を置いてほしい政策に対して、自分に合いそうな候補者を選ぶ、それがなければ仕方なく希望に近そうな政党を選ぶ。だから、時々大きく票が動く。以前は自民党から社民党へ、今回は自民党から民主党へ。

パッケージ選択の方法に関しては、結婚式の変遷が参考になるのかもしれない。
以前は、ホテルや結婚式場の示すパッケージがあり、式のランクに応じて料理も式次第もある程度決まっている。ランクの高い=料金の高い式は、料理もドレスも会場も引き出物もみんな高い。安い式はその逆。そこにオプションの希望を少し盛り込んで、あとは半ばオートマティックに動く。
それが、パッケージは一応あっても、料理はお金をかけるが、ドレスはシンプル、引き出物は簡素で邪魔にならないもの、といった具合に選択可能になっていく。会場も洋館貸し切りなどバリエーションが豊富。
おそらく、政策もそんな風に選びたい、と思っているのが、無党派層なんじゃないか。

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2007.07.05

骨董に込める思い

先日触れた「ETV特集・吉田秀和」は、あちこちのブログやSNSでも言及されている。おそるべしテレビ、おそるべし吉田秀和、である。

番組でも取り上げられていたが、ホロヴィッツ初来日公演についてコメントした「ひび割れた骨董」は、独り歩きしてあちこちで反射・共鳴していった。

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2007.07.03

ETV特集・吉田秀和

先日放映された「ETV特集・吉田秀和」を、録画で見た。

吉田秀和氏は、90歳を超える現役の音楽評論家。終戦直後から一貫してクラシック音楽について書き、語り、教育に関わっている。
1950年代の二十世紀音楽研究所設立は、おそらく戦後音楽史の一つのエポックだろう(私はリアルタイム世代ではないが、様々な前衛音楽創作活動を横断する場、初演を行う場があったことは重要であり、その精神は、後に音楽祭で現代音楽が多数上演されることに引き継がれていると感じる)。
1980年代以降は美術評論も展開。最近は水戸芸術館の館長も務めている。昨年、文化勲章を受章。

個人的には、中原中也と東大で出会って以来、友人だったこと、鎌倉に暮らす鎌倉文人の一人であり、小林秀雄、大岡昇平らと交流があった、といったことを思う。
つまり、第2次大戦前夜から現代に至る、近現代文化史と音楽の生き証人である。政治家なら後藤田正晴氏、宮沢喜一氏らのような存在でもあるか。

そんな氏の軌跡を映像とナレーションで追いながら、作家・堀江敏幸氏によるインタビューを挟む構成。

マイクに対して、真摯に、しかし軽やかに応える姿は相変わらずであり、この方は老いてますます明るく研ぎ澄まされているのかと驚く。(生と死に向き合い、芸術について思考してきた、氏ならではだ。)

番組自体は、これまでの名文・名台詞の集約もあって、見応えじゅうぶん。

***

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2007.04.19

なんなんだ、これは

17日午後8時前、統一地方選に立候補していた長崎市長が銃撃された。
前日夜、米国バージニア工科大学で銃乱射事件が起きたすぐ後で、衝撃は大きい。
しかも、選挙期間中での、現役市長としての立候補者であり、二重の衝撃がある。
(ニュースサイトで多くの記事があり、いちいちリンクは張りません。)

残念ながら逝去された伊藤一長市長には心からご冥福を祈念いたします。
また、米国で起きた事件で亡くなられた方々へもご冥福を祈念いたします。

暴力は民主主義にそぐわぬものだし、主義云々に関わらず、許されることではない。

一方で、容疑者の動機や、ここまでに至った経緯など、まだよくわかっていないことも多い(日米どちらの事件も)。
もしも、米国の銃乱射事件や、今回の件が、追いつめられて暴力以外に解決の道がないと思い込んだとしたら。
なんだかイラクの状況を連想させられてしまう。

そのイラク、少し前の12日にはイラクの国民議会食堂でテロが起き、いまさっきも連続テロが起きている。イラク関連のニュースは比較的頻繁に起きているのだが、議会内でテロが起きるところまでいったのは、やはり尋常じゃない。

それほどまでに、人は違う立場の相手を理解できないものなのだろうか。(お互い、相互に、だ。)
って他人事のように言ってちゃいかんのだが。
暴力を止めるための制度作りも重要かもしれないが、まったく違う世界や立場のことを思い描く想像力が足りないことも関係している事件だとするなら。
その原因はどうすれば取り除けるのか、解決に向かうものなのか。

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2007.04.11

読み書きと意識

前のエントリーで、画面の広さと読み書きに関して触れたが。

PCやモバイル(ケータイ)での「読み」と「書き」をゴッチャにしてる、と思う向きもあるかもしれん。
読むのは本や雑誌、あるいはちゃんとレイアウトされたそれ相当のWebページ(もしくは知人や有名人のWebページやブログ)。
書くのはワープロやエディタなどの専用環境。
それぞれ別のもんだというだけ。いままでだって原稿用紙への執筆と、本や雑誌の購読は、まったく別の行為だったじゃないか、それぞれに合った環境で読み書きできるだけなんだから、大した問題じゃなかろう、と。

どっちもPCやケータイで行われるようになっていく、ということがモンダイなのだ。

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画面の広さと

Googleが、GMailのモバイル版サービスを、日本でも開始した。(日本ではこれまで公式には未対応だった。)


Internet Watchの記事(4/10)

mixiもモバイル機能を矢継ぎ早に強化し続けている。
ここ、つまり@niftyの提供するブログサービス、ココログも携帯電話からの閲覧に対応した。

株や為替のトレーディングなどについてはだいぶ前から行われてきたけど。
これまでの、携帯電話会社の公式メニューに載ることを前提にしたものだけでなく、主にPC向けとして普通にURLを入力して接続してきたサービスが、ここんとこケータイを中心とするモバイルに対応している。

これまで棲み分けてきたPCとモバイルだが、いよいよクロスしつつあることが前面に出てきた感じか(対決とは違う)。

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2007.03.28

ものわかりがよすぎるのもモンダイだ

NHKの放映する「プロフェッショナル」は、つまんないわけじゃないんだが、どうにも座り心地が悪い。
わかりやすい結論、一言で言い表せること、おいしい映像に、こだわりすぎているんじゃないか。

もしも世の中がそういうものばかりを求めているとしたら。
予備校で習う「ここがポイント!」だけですべてをすり抜けられると思ってる人間が増えすぎてるってことか。
それが悪いわけじゃない。
ただ、「難しいことを簡単に伝えられる人が一番わかってる」のは真実の一面であるものの、「すべての難しいことは簡単に伝えられるし一言で要約できる」と信じ込むのも間違いであるということ、ただそれだけだ。
プロフェッショナルという言葉に宿るコトは、そこにこそ触れるはずだろう。

その意味で、今まで2回だけ放映されたトーク・スペシャルはまだ見ごたえがあるが、通常放送はどうも食い足りないまま終わってしまう。
ホントーにあんな内容でいいのか、茂木健一郎?!
(呼び捨てかよ、おい。)

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2007.03.11

棚の前にいつも思う

規模の大きな書店に入る。文芸作品のあるコーナー(あるいはフロア)に行ってみる。
棚に大量の本が並んでいる。
たいていはSF・ファンジー・ミステリー・詩歌のような特定分野と、そのような分類にあてはまらない小説一般・文芸一般、といった具合に、まずジャンル分けされている。
それぞれのジャンルの中では、著者名あいうえお順に並ぶ。

小説一般について言えば、三省堂、紀伊国屋といった日本を代表するメジャーな書店で、男性作家/女性作家という棚がある。

実は何度行ってもこれに馴染めない。

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2007.02.25

一人で聴き、みんなで聴く

オーケストラのコンサートに行くとしよう。

夜道に人の流れが出来ていく。流れに乗って歩くと、すぅっと明るくなる。演奏会場入り口だ。
チラシをとりあえず受け取る。チケットを取り出し、もぎってもらう。曲目などを記したパンフレットを取り、まずは座席の確認。
まだ時間がある。ロビーに出てみよう。既に客が入って寛ぎ、ざわめいている。プログラムやチラシを見たり、CD販売の様子をうかがっていると、知人に会ってちょっと歓談したり。あるいは、演奏中に腹の虫が騒がないよう、ホワイエでサンドイッチにコーヒーをとったり。念のためにトイレを済ませておいたり。

開演の知らせが鳴り響く。
席に着く。思い思いの姿勢で、あるいはおしゃべりで、登場を待つ。ざわめきは、オーケストラのメンバーの登場で、低くなる。場合によってはここで拍手。
全員が揃うと、チューニング。オーボエが出すAの音。コンサートマスターと弦楽器の合わせ。やがて木管、金管が合わせ、音が満ちていくと、ティンパニ奏者も耳を近づけて、最後の確認をしている。
そうしてどこからともなく音が止む。
客席の期待が、静けさにぐっと凝縮される。

指揮者の登場。
満場の拍手。オーケストラ・メンバーの起立。
指揮台にたどり着いた指揮者は、客席に会釈をすると、振り向いてオケに向かう。
メンバーが着席。拍手も止む。
鎮まり、高まる空気。
それを身にまとうように指揮者はオケをうかがい、構える。客席の空気は一瞬で呑み込まれる。
棒の一閃。
鳴り響く音が、そこに居合わせるすべての人々を運んでいく…

***

ポピュラー音楽の歌姫が、数万人を収容するアリーナでのライヴなら、静けさよりは熱狂で始まるかもしれない。一挙一投足に皆の注目が集まり、いつも聴いているあの曲の、あの声を、同じ場で共にしていることに(マイク越しであっても)震えるだろう。
1曲、あるいは数曲歌って皆をつかむと、MC(語り)が入る。
アップテンポなら、歌姫のリードに、一緒に手拍子をするだろう。バラードになれば、自然に動きが止まり、全身が声をとらえるだろう。

コンサートに赴き、会場で聴くなら、これだけの音の起伏と皆の呼吸がある。他の何にもジャマされず、各人がひたすら思いを投げ出せる。陶酔と覚醒が同時にやってくる。
何か特別な、祝祭に等しい体験。そう表現しても過言ではないだろう。(それだけに、つまらなかったら、とっても腹立たしいわけだが。)

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2007.02.23

iPodと音風景--エピローグ

前編および後編を先にお読みください。]

iPodを使っていると、むしろ耳につくのは都会の騒音であり、過酷な音環境、ということを書いた。
まぁ、格別に新しいことではない。多くの方が経験しているだろうし、様々な感想が出てくることだし。

たとえば、私は歩く際には使わなくなっていったが、10代前半から携帯型音楽プレイヤーに慣れた層は、むしろ積極的に使って自分の耳に入る音をコントロールするから、あまり音環境に不満を感じないのだろうか、と想像することもある。

また、私はイヤホンと環境音が打ち消しあうように感じて、不満を覚えたが。
デートの最中、彼氏あるいは彼女だけがイヤホンを着けていて、しかもそのまま普通に会話しているのを、繁華街で見かけるということは。
イヤホンをして、その音が周りの音と混じることをむしろ歓迎しており、さらに外部音を遮断している意識など毛頭ない、という人々もいるのかもしれない。

***

一方で、ノイズキャンセリング・ヘッドフォンはここ数ヶ月、いきなり製品の種類が増えてきた。
支持する人々が増えているのだろう。

ただ、これを使って周囲の音をなかったことにする、というのは選択肢の一つであって、本来の解決策ではない。
耳に過酷な状況なら、そうでなくなるようにすることに、もっと注目が集まってもいいんじゃないかと思う。

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2007.02.21

iPodと音風景−−後編

[この記事は前編からお読みください。]

結局、iPodを外で使うのは、座っていられる時か、じっと立っている時が中心になってきた。
つまり、耳元の音に、ある程度気持ちを集中させても問題ない状況で、何か聴きたいなと感じた時。

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iPodと音風景−−前編

iPod、もしくはウォークマンなど、小型のデジタルオーディオプレイヤー。
いまや近所の住宅街でさえ、誰かしら使っている。つまり、10〜30代は言うに及ばず、かなりお年を召した方も、白いイヤホンを耳に当てて、散歩や買い物をしている。
それくらい普及した。1999年頃の携帯電話のようだ。

私の生活にiPodが入ってから、1年半は過ぎた。
ちなみに、それまでカセットやMDの携帯プレイヤーを愛用したことがない。そのせいか、PCを母艦とするプレイヤーも長らく買わないできた。
そんな私が購入にあたり思ったことは、まとまった分量の音楽を自由に持ち歩ける暮らしがどんなものかを体験する、くらいのつもりだった。

いざ使ってみれば、思いの外、楽しい。よく連れ歩いて、ひょいと聴き、また外す。
たくさんの楽曲を一気に持ち出して、聴きたいと思ったらいつでも聴ける。それは確かに幸せだ。
これが、曲の入ったディスク/メモリ/カセットを差し替えるタイプの製品なら、ここまで楽しいとは感じなかったはず。しかもiPodのホイールによる操作は、生理的にはまる何かがある。人によっては中毒に近い状況になるかもしれない。

実際のところ、なければないで困ることもない。が、あればやはり使う。
そう、よほどのこと(今後iPod以外では一切音楽を聴けない状況など)がない限り、なくても暮らしてはいける。家でゆっくりCDを聴く、という以前の生活も、そう悪いものではなかったのだし。
では、iPodのある暮らしは変化をもたらさなかったのかといえば、そうではない。
一番変わったことは、音環境について以前より鋭敏になったことだ。

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2007.02.13

言葉狩りが鎮まったのはよかったけど

先日「内向きは日本のお家芸だけど」で触れた、柳沢厚労相の失言問題。ほぼ予想通りの展開になった。

先日のエントリーを書きながら懸念していたのは、言葉狩りになっては困る、という点。
一連の発言をした大臣が適任かどうかは問われるべきと考える一方で、発言の前後の文脈をとらえず一人歩きさせることに違和感も抱いていた。一番冷静だったのはニュースを見ている国民、というのはなかなか。

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2007.02.06

自由意志と人間

人間に自由意志はあるのか、それとも意志は本来計量および予測が可能であり、自由意志などないのか。

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2007.02.02

内向きは日本のお家芸だけどさ

新聞の社会面の下には、お詫びや回収に関する、数多くの企業の出す広告。
不二家問題からこっち、日本全国謝罪キャンペーン月間なのか。

政治の場面でも出てきた。
その柳沢厚労相の問題発言(「女は子供を産む機械」)。
野党は辞任要求を出し、新聞も同様に首相の任命責任について触れた。喫茶店やカフェ、電車などの声で、問題視している人が多いように見受ける(Blogも同様か)。
一応首相も謝罪して、辞任はしない方向で幕を引くようだ。

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2007.01.29

どうする気だ青年宰相

安倍首相が昨年9月に引き続き、今年の1月の国会でも所信表明演説を行った。
前回の報道によるカタカナ語多用批判をうけて、今回は減らしたというが、前回使った言葉はそのまま使わにゃならんのか、意外に減っていない。

でもまぁ、そういうことはおいとくとしてもだ。
憲法改正、教育改革を前面に出し、国民投票法の成立、生産性加速プログラム(雇用形態や賃金体系になど関わる法を見直し、重点産業の育成など)、公務員制度改革などに触れている。
21世紀における新しい日本国家のあり方を提唱するのが仕事だ、という趣旨のことも(演説以外で)述べ、報道されてもいる。

つまり、この方は細々としたことではなく、大枠の大変更をやりたい、むしろそれに専心したい、というのが本音に見えてしまう。

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2006.11.21

いじめに思う、自分へのハロー

学校でのいじめ問題から、生徒が自殺したり、校長が自殺したり。何件も。
いじめはおそらくどんな社会でも多かれ少なかれ存在するだろう。
ただ、昨今の状況は異様だ。

小中学校や高校(つまり未成年が集合教育を受けるところ)で起きる場合、特に義務教育である小中学校の場合は、国が制度として作った場所で起きているため、見過ごせないはずだ。
だって、親は教育を受けさせる義務があり、子供は学ばなければならない(学ぶ権利の行使だけど、まぁ義務という印象を持つ子が多いだろう)。
つまり、逃げ場がないのだ。高校での必修科目未履修よりもずっと大きな問題であるはず。

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2006.11.14

教養の変化?

先日の記事「お受験なんでございますか」で、最後のほうに書いたこと。
若者が受験を効率良くパスすることしか考えなくなったのは、他に知るべきと感じていることがたくさんあり、そのために教養をつける過程で受験勉強もする、というあり方に共感できなくなっていること。

これ、実は1980年代に受験をした世代が既に、似たような状況になっていたんじゃないかと感じていた。

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2006.11.12

お受験なんでございますか

高校での必修世界史履修漏れ問題がずいぶんと長く取り沙汰され、首相や文部科学省の大臣から各教育委員会、現場の先生に至るまでえらい騒ぎになってるが。
こんなに長く引っ張る問題なのか。とあえて言いたくなってくる。
お受験じゃぁございませんでしょ。

もちろん現場の受験生にとってたいへんなのはわかる。
ある意味、被害者でもあるのだし。

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2006.10.13

日本のメディア芸術100選

文化庁主催のメディア芸術祭10周年を記念して、「日本のメディア芸術100選」の投票が行われ、10月に結果が発表された。
結果はこちらのサイトを参照のこと。

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2006.09.27

ローマ法王発言、その後

先日記したローマ法王発言の波紋だが、法王自らイスラム諸国の大使らと会談した模様(たとえばアサヒ・コムの記事、9/25)。

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小泉首相の退陣

26日、小泉政権が終わり、安倍政権が発足した。
5年以上に渡って高い支持率を維持した状態で、政権運営を行ってきた。
小泉前首相が人気を維持した理由はおそらく、取り組むべき問題を一言に集約させ、それ以上のことを長々と説明しないことだったろう。
事前に細かくいわないため、言質をとられにくくなる。論戦を挑まれても、話を噛み合わせず勢いで跳ねのけてしまうし、相手が重箱の隅をつつくような印象を与えてしまう。

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2006.09.17

なんでいまごろ…

ローマ法王の発言が波紋を呼んでいる。

YOMIURI ONLINEより、発言への波紋(9/16)、イスラムでも穏健な国々からの非難(9/16)、それに対する謝罪(9/17)。また法王庁の新国務長官の記事(9/15)

アサヒ・コムでも、発端となる発言(9/15)、広がる反発(9/16)、それに対する釈明(9/16)

謝罪か釈明か、どうもはっきりしないような雲行きなのだろうか。
(上記でも微妙に異なっている。)

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2006.09.10

阿部謹也氏の訃報

歴史学者で元一橋大学学長、阿部謹也氏の訃報を知った。
(たとえば、アサヒ・コムの9/9の記事。)

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2006.08.30

近代的な、あまりに近代的な(エウレカセブンに想う)

先日、「交響詩篇エウレカセブン」について触れた
思うに、熱烈なファンがつく一方で、「糞番組」と認定する人もたくさんいると思う。
真っ二つに割れるのは、作品として独特の世界を作っているはずだ。

通しで見ている最中、私の中ではずいぶんといろんな感覚が揺れ動いた。
しかし、最終的にはずいぶんと惹かれる作品となった。
私がこの作品を通じて感じたのは、おそらく監督が「いままでの映像演出の方向性だと、オレの感じて見ているような世の中の感じ方が描けない」と思っており、ものすごくあがいた結果が「エウレカセブン」に集約されたんじゃないか、ということ。

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2006.08.14

耳の経年変化

先日書いた「大人には聞こえない?」だけど、こうした耳の変化に関する話を聞くと、思い起こさずにはいられない。

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2006.06.20

癒されたいわけぢゃございませぬ

西欧の古楽、いわゆるJ.S.バッハ以前の音楽が好き、という話をすると「癒しの響きがいいんですねぇ」と言われることが、たまぁにある。
相手は悪気があるわけじゃないんだろうが、一応話しておく。

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2006.03.19

1995年から丸10年以上を経て

1995年はインターネットのブーム、Windows 95の発売、Javaの誕生と、主流の技術やインフラが登場した年だった。あれから10年以上を経て、インターネットは世の中にかなり浸透しつつある。
インターネット普及による大きな変化は、メールでの連絡が日常生活にとけ込み、何かあればWebブラウザで検索する世の中に変わったこと。
さらに、マイナーな趣味だと思っていても、同好の士は意外に世の中にいる、とわかることかな。

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2006.02.16

風刺漫画問題

ムハンマドの風刺漫画問題、デンマークの問題ではなく、世界的な問題となって、断続的にニュースが流れてくる。節分頃の事件で、もう10日以上経つのに。
この記事(アサヒ・コム、2/13)では、対話を拒絶したことが問題を大きくした、という。
いまでもパキスタンで抗議デモがあるようだし(この記事はYOMIURI ONLINE、2/15)、パリやら国連やらも絡むニュースが流れ続けている。

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2005.12.22

冬至に思う

午後3時前には西日、午後4時には光がオレンジに染まり、午後5時には夕焼けがどんどんあせていく。誰もとらない渋柿にオナガが集って大声をあげ、雀は日のあたる枝で暖をとる。
そして、いよいよ冬至。
空気がもっとも澄み渡る季節。瞑想的な空気。
寒くて身体も縮こまってたいへんだけれど、私は好きだ。これほどものが冴えて見える季節はないしね。

***

11月上旬、フランスはパリ郊外の暴動が取り沙汰されて(当ブログではこちら)、とりあえず静かにはなったようだ。
しかし、暴動・混乱を一応の収拾できたとしても、まだ根本的な解決策は出ていない。

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2005.12.16

手帳ブームとモーツァルトイヤーの関係

冷え込みますな。
冬はもともとは寒いのだ、ということを思い知らされる寒気団。
ここ数年、あったかい冬が続いたけど、東京だって以前はこんな風に寒かったような記憶がある。
冷たく乾いた空気に、東京は満月が神々しいくらい冴えている。

ところで、今年の年末、書店の平積みを見ると手帳ブームだ。
フランクリン・コヴィー、夢のかなう手帳、ほぼ日手帳などなど、仕事術(情報整理、時間管理など)の中核として手帳のブームが来てるのか。
そして、来年はモーツァルト・イヤーだ(生誕250周年)。

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2005.12.13

承認されたがっているのか

以前から気になってきたことがある。
もしかすると、今この国に住んでいる多くの人々は、自分の存在や行動を承認されていない不安を感じているのだろうか。

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2005.11.28

一直線と、寄り道しつつと

日本人は、ラーメン、カレー、丼が大好き。
そういう私もまぁまぁ好き。

こういう一品完結の食事の風景って、カウンターに並んで、どんどん食べていくものばかりだ。
ごちゃごちゃ考えず、目の前にあるものを、ひたすらかきこんでいけば食事が終わる。
一直線な食事。

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2005.09.13

祭りは洪水のように押し寄せた

自民圧勝。
朝日、読売、毎日、日経など各紙が大量に報道している。いちいちリンクはしない。

それにしてもすごい数字だなぁ。小選挙区制を導入している英国やカナダの前例があるから、自民勝利はおかしくないと思ってはいたけど、ここまでとは。

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2005.09.09

小泉人気って何なのだろう

衆議院選挙もいよいよ直前、台風で活動が狭められていたせいか、各候補が一斉にラストスパートを開始して、盛り上がってるんだか盛り下がってるんだかますますわかんないぞ。

ところで、小泉首相は郵政民営化の是非を問う選挙という。
しかし、「それが本当に今問われていることなのか?」と思っている人々も多いんじゃなかろうか。

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2005.05.31

またまたー、好きなら好きって

もう何年も前のこと。
数名でバーに入った。その頃は、飲めないなりに、最初の1杯程度は付き合っていた、それでも残すくらいだったが。今はもうダメだ、コップ半分(ジョッキ半分じゃない!)のビールでさえ二日酔いになるんで、ノンアルコールしか口にできない。
周りは順調に飲んでたけど、大酒くらう人もいないので、穏やかな推移。私も適度に馴染んでいた。
なんとなくテレビ番組の話になり、流れでテレビタレントの話になり、私は当時売れ始めた優香に触れた。

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2005.03.25

新潮3月号、文學界4月号

先日の記事の続き。

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2005.03.17

必ずホリエモンのことが話題にのぼるわけではない

あったかい!
でも、花粉は昨日の方がひどかったような。
こういう日は、その次の日がひどい症状というのが相場なんだけど(オレだけ?)、明日は雨になっていくという予報あり。
雨は、花粉症にはラク。さてどうなることやら。

ところで、IT業界に研究開発職として身をおいたことがあり、いまでも縁があるとわかると、時々聞かれることがある。
「会うたびにホリエモンのことが話題になるでしょ、どうなの、実際のところ?」

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2005.01.20

日本語タミル語もののあはれ

アサヒ・コムで検索しても出てこないのだが、そして1月18日の朝日新聞朝刊は、すでに油取り紙としてうっかり使ってしまったのだが、文化総合欄に丸谷才一氏のエッセイ掲載日だった。
昨年、吉田秀和全集へのコメントがすばらしく秀逸だった。今回もすぐに読んだ。

日本文学は万葉集も王朝文学も、そして中世から近世を経ても男女の愛を扱ってきた。一方、中国は異なる。漢詩も文学もそんなものが前面に出てこない(「紅楼夢」なんかは例外であるわけで)。あれほど中国に憧れながら、なぜか。
丸谷氏はここで、大野晋氏の「日本語タミル語起源説」で触れられている「あはれ」の語源に共鳴していく。そして、タミル語に五音・七音からなる詩歌であること、男女の愛をうたうことが当たり前であることに触れ、この説はバカにできないゾ、と(いう意味のことを)語るのである。

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2004.12.31

20世紀後半を奏でた人々の逝去・2

10/25に同じタイトルのエントリーを書いたけど。

12/30、スーザン・ソンタグ氏の逝去記事あり(アサヒ・コムの記事)。
9月にエドワード・サイード氏も逝去された。(ちなみに、12/8発売の新潮新年号には、サイード氏と大江氏の特別原稿あり。)
ちょっと違う視点を当てる論客、しかも広く様々な分野に、という方がいきなり二人、世を去った。これは後々ボディブローのようにきいてくるんじゃないのか。

原卓也氏(ロシア文学研究)、白井浩司氏(フランス文学研究)の訃報もあった。
12/26には石垣りん氏(詩人)も逝去された(アサヒ・コムの記事)。

半藤一利氏の「昭和史」が注目された年でもあったな。
「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二、新揚社新曜社)をかみしめつつ読む。

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2004.10.25

20世紀後半を奏でた人々の逝去

ジャック・デリダ氏(仏の哲学者)が亡くなられた。園田高弘氏(ピアニスト)も、矢野徹氏(翻訳家、文筆家)も。川崎洋氏(詩人)も。そして、その前に種村季弘氏も。
20世紀の後半にインパクトを残した方々が、逝去される。

2001年より始まった21世紀は、突然21世紀の空気をまとうわけではない。20世紀中葉の世界大戦後の、意識のあり方に関わる仕事をされた方々が逝去され、そうした仕事の内容の、現場の空気を知らない人々が生きる世になる時、気がつくと変わっている。言葉のまとう空気は、徐々に伝わらなくなっていく。解説の必要が発生してくるときにはもう、変わっている。そういうもんじゃなかろうか。
今年から数年間は、そういう世になってくるのだろうか。
いや、そんなことをくどくどいえば、それこそ鬼に笑われるな。

心静かに、合掌。

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2004.08.05

青山ブックセンター再建、続き

丸一日かかってしまう予定が何日も続き、ABC再建の話題以外は更新できなかった。
移動中に群像連載の橋本治「権力の日本人」を2ヶ月分まとめて読んでいたり。平家物語の橋本治流解説。これ、開始当初は期待してなかった(すまん)けど、けっこうおもしろいです。橋本治文体に慣れるよう頭をチューニングするのにちょっとかかるかもしれんけど、日本の組織人の官僚性などいろんな日本の今を考えるためのヒントがあちこちに散りばめられてる。まだ連載半ばだけど。

さて、そのABC再建記事へのトラックバック、多謝。

Think negative, act positive記事からのトラックバックは、私のABC再建の短い紹介じゃなくて、7月17日の記事「青山ブックセンターの営業停止の反響の大きさ」に対してだった。たぶん、私の一連の記事の中では、ここが一番考察の多い記事だったからなのだろう。
洋販という取次が書店を経営して、タワレコなどの店に買っちゃう勝っちゃうのは問題があるかもしれないけど、やってくれという声。Apple Computerが直営店をやっちゃってるこのご時世、それもありなのかもしれない。
もちろん、洋販がやるからといって、洋書にシフトするだけではなかろうとも思う。国内の本も含めて、やはりここ10年ほどの勢いがなかった書棚を、もう一度リフレッシュしてほしい、そのために、既存の流通網に穴をあけてもいいんじゃないかとも思う。版元から直接仕入れて並べるのを得意とするくらいでもいいと思うし。

*second message*記事からのトラックバック。私の記事で知った上で、洋販のプレスリリースを引用している。丁寧にどうもです。
新宿に肌のあう書店がないから、ABCを利用していたという客は多かったようで、私もそうだったのかもしれないな。でも、一番の問題は青山本店がけっこうすいていて、そこを再建させることなのかもしれない。あそこは人が流れてくる場所じゃなくて、わざわざABCヘ行かなければいけなかったから。六本木店、なくなった新宿店よりも、ここがなんとか軌道にのってほしいと、個人的には思う。

BigBanの記事からのトラックバック。確かに、ここを愛用している人に限ってつぶれるとは思っていなかったろう。
一部報道では、問題があったのは書店じゃなくてグループ経営の方だという記事もあったし(7月24日の記事参照)、後に紹介する新文化の記事もそう書いている。そうであったとしても、書店というのは薄利多売、再生は簡単にはいかないと思う。再開しても、前よりパワーダウンしたと言われては、かえって人が離れる可能性もあるだけに、気合いを入れ直したいい顔で再会したい。

***

本屋が情報のポータルとして長く機能してきたけど、インターネットが出て以来揺らぎつつある。ABCの再建がうまくいったとしても、中小の書店が厳しい状況には変わりない。
ジュンク堂のようなメガストアは、出版中のたいていの本と重要な絶版書までがあって、棚を見ることが出来て、ちょっと座って読めて、よく本を知っている店員も抱えていて、端末で検索もできるという具合に、既存の本屋と検索型ネット書店のいいとこどりをしている。だから人を集められるし、ほしいものがいくつも見つかってしまうと、どれか一つは買っちゃうという心理をうまくついているように思う。しかも、池袋は現在、埼玉と東京西部両方からの仕事人(含自由業)・学生が大量に流れ込む場所である。本は神田という常識がまだ生きていた頃に、あえて神田につくらなかった見識はすごい。たぶん関西が本拠で、関東の常識にとらわれない上に、商売人としての計算もきっちりあったのだ。

本と言えば、喫茶店・カフェ。大規模な本屋にカフェが入る昨今の事情だけでなく、昔から本屋のあるところに喫茶店、カフェはつきもの。喫茶店の経営事情もけっこうタイヘンだという。
小規模経営の喫茶店がかなり減っている一方で、チェーン店がちょこまか増加していること、さらに客を店が客を選ぶくらい個性的なカフェがぽつぽつ出来ていること。
さて、書店がメガストア中心になって中小規模店が減っていること、効率よく売れ筋をおく大型書店(メガストアより小さいが通常よりは規模の大きな書店、あおい、Book 1st、旭屋など)はそれなりに生き残っていること。その一方で個人経営の、やはり顧客を選びそうな古書店は繁盛していること。
この二つは、関係がありそうに思える。ちゃんと生き残りたいなら、売れ筋を揃えて、店のイメージを明るくそこそこ感じのよいものにして、様々な人々にそこそこ便利な店として来店されるようにすること。そうじゃなければ、メガストアに到達するか、個性的な小さな店で常連を集めていくか。

ABCは、個性ある東京の中型書店だった。その個性は、ここ10年くらいで薄まっていく傾向も感じられた。とはいえ、他の大型書店にはない書棚であり、だからこそ惜しまれた。
今までの反省の上で再出発するのもいいけど、どんな客が店を愛して買い物をしていたか、またどんな客にこそ愛されて長く来店されたいか、そういう人々はどれくらいるだろうかを描いて、今までの店にとらわれずに、長くしたたかに商売をしてほしい。
上記のカテゴリーなんか粉砕するくらいに。

***

さて、新文化の8月4日のWebフラッシュニュース。引用する。

青山BC、3社合計負債30億円

8月2日に債権者に宛てた文書で明らかに。破たん原因については、ビル建設のために土地購入・建物建設資金を借入れたがバブル崩壊とともに土地の価値が下落、結果債務超過に陥り、運転資金も借入れできなくなった。そのため、栗田への支払いが滞り、同社から破産申立てを受けたという。

洋販の再建案詳細はこれからと、先日の記事にもある。洋販自身だってタイヘンな状況のはず。ツッコミドコロ満載の再建だろう。それを跳ね返して、再起してほしいな。

というわけで、上記の3サイトの他に、plus 87記事にもトラックバックをば。

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2004.07.20

青山ブックセンター閉店のTBに対して

青山ブックセンターの営業停止の反響の大きさ」へのさらなる新たなトラックバック、ありがとうございます。あちこちコメントを書いていく時間がないので、ここでまとめて。

裏新宿さんの記事にあるように、そういえば靖国通りの尾張屋書店も閉店したのでした。ずっとここで営業していた本屋。目の前にバス停があって、バスを待つ人が買い物をしている様子なども見ました。あのくらいの、雑誌や文庫を買うのにちょうどよい書店がなくなっていくのもさびしい…

Living Your Styleさんの記事で、六本木ツタヤが客の流れを変えた印象を記していましたが、これ、確かにそうかもしれません。

お買い物と散歩の日常さんの記事では、中を見て確認しなきゃいけない高い買い物にこそ、ABCが役立っていたことに触れています。これは結構大事な事で、私もそうやって利用していました。けれど、直接間接の多くの方の印象を聞くに「あそこじゃ本を眺めたけど、あんまり買わなかったかも」という方が想像以上に多い。そこが問題だったように思います。
たとえば、LIBROとパルコ・ブックセンターは、西武グループの本屋として妙に客をとりあっているようなところがあったけど、LIBROに統合してなんとか生き残っている。つまり、ニッチを支えるには規模が必要になった、その象徴がジュンク堂だということなのかもしれません。(逆に極端に小さい範囲で商売を行うとか。)
ただ、問題はこれだけではないでしょう。2001年に京都の駸々堂書店が閉店しましたが、あのあたりから地続きで起きたことのようにも思います(駸々堂も取次店が債権回収を行ってつぶれたと聞く)。書店は利が薄い商売だということは、もっと知られてもいいかもしれません。

勝谷誠彦氏の日記にも触れられていました。私も2つめの記事で取り上げました。この件についても触れたいのだけど、今は時間がないので、またの機会に。(勝谷誠彦氏もいずれまた書くと言ってるので、注目しておきましょう。)

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2004.07.17

青山ブックセンター、営業停止 (2)

コラムニスト勝谷誠彦氏の日記「勝谷誠彦氏の××な日々。」。その7/17(土)においても、青山ブックセンター(略称ABC)閉店の件が取り上げられている。

続いて『ビデオ・ザ・ワールド』誌に連載されている平加門氏のコラムについて触れている。私は未読であり、股書きはよくない読んでから触れるべきだと知りつつも、「コンビニ立ち読みは問題である」という視点は重要かもしれないと感じた。まずは上記日記をお読みください。
ちなみに『ビデオ・ザ・ワールド』は、知る人ぞ知る名著「AV女優」(永沢光雄・著、ビレッジセンター・刊)を生み出した雑誌。

上記記事はまだ読んでないので、以下は私の考えだけでしかないのだが。
コンビニで立ち読みして買わない人がいる、本屋に足も運ばない人も増えている、でも、そうはいっても、という気持ちが私には少し残っていた。立ち読みにも携帯カメラ撮影にもうるさい本屋を避ける若い人人々が増えていくのは、自明なのかもしれない。インターネットを通じて通信料さえ払えば情報が手に入る世の中で、たかだか1ページ〜数ページのために金を払う人は減っているのだろうか。
でも「情報や娯楽はただで手に入って当然、おれはその情報で金を儲けて当然、ただで息を抜いて当然」などということがあり得るだろうか。いや、ないのだ(反語は自分でつっこまないのが原則だけど、ここは自分でつっこんでおく)。
インターネットで見つかる多くの情報は、すごく役立つ。その一方で、生々しいけど、確度も強度もはっきりしないものも多い。書き手と編集は、そこで裏を取り、選り分けて、雑誌や本にして届ける。おそろしく労力がかかる行為だ。でも、そうやって残そうとする努力が、本を作るということだ。
生々しさは確かにインターネットのraw dataに近い書きっぷりが強いだろうけど、その情動を突き動かす部分だけに揺さぶられてはいかん、という視点は、学ばないとなかなか得られない。その学びは、学校の勉強だけでなく、社会へ出てからも続くこと。編集されて読みやすく考えを深めるのに便利な本は、忙しい社会人にこそ必須であり、そのためには若い頃から本を読む習慣をつけておけと、おっさん達は若者にいうのだ。別に昔ながらの硬い本とは限らない、「あ、これいいかも」と思ったら、そこから始めればいいんだし。
必要な情報が、読みたいところが1ページしかなかったとしても、それが必要なら、やっぱり買って、線をひいたり書き込んでみたり、せめて栞をはさんでおいたり。その営為は、今こそむしろ必要になってると思うな。

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2004.07.04

都立大その後

都立大学をはじめ4大学を統廃合して首都大学東京となることに、触れたことがある。(今年の2/2「大学で学ぶこと、大学改革」、及び2/8「首都大学東京」)。

その後の動きに関心がなかったわけじゃないが、ニュースやサイトを読みつつも、追いきれない部分もあったり。
ココログの「那覇旅行 都立大のこと」は、読みやすくて時々見ています。

それにしても、首都大学東京の略称は、「首大」だそうである…
名は体を表す。だな。

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2004.06.20

小学校6年の頃

ここんとこ、よく晴れる。ほんとに梅雨なのか? 雨が苦手な私はうれしいけど。
さわやかな風が吹く日と、ねっとり湿気た風が吹く日が交互にやってきたりするもんで、身体が毛穴を広げるべきかどうか、戸惑っている。

***

 ・佐世保女児死亡事件(アサヒ・コム)
 ・佐世保・小6死亡(YOMIURI ON-LINE)

痛ましい。死亡した女子のご冥福を祈るとともに、被害者のご親族の平安を祈念する。また、加害者となった女子の反省と真の意味での回復も。
この事件が起きて、世間の反応がネットから子どもを救うには?という論調になってみたり、それはいきすぎだという人々が出たり。

気になるのは、年齢が小学校6年ということ。この頃のことを思い出しても、私はあまりいい思い出が出てこない。周囲の人々にたずねてみるが、そういうケースは意外に多く、自分だけじゃないんだと思った。
本格的な思春期を前にして、多くの子が自分の中で動き出したパワーの前に突き動かされたり、たじろいだりしていた。ちょっとしたことでひどく傷ついたり、突出してきた言葉や腕力をとにかく誰か身近にぶつけてみたり。
私がとりあげてきた(2/153/164/205/20)志村貴子のマンガ「放浪息子」は、こういう側面を切り取って描かれている。

それでも、これまで学校の中で女子が同級生を刺してしまうような事件に発展しなかったのは、どうしてなんだろうか。単に映画やネットの刺激が大きかった大きくなったからか。私が子どもの頃だって、級友勢力同士の誹謗中傷合戦などひどく醜いことはたくさんあったし、中学生になればカッターやかみそりを出す子だっていたぞ。
思うに、大人たちのほうに、出来事に対する耐性が弱まっているんじゃなかろうか。イラク人質事件、小泉首相2度目の訪問についてコメントした拉致家族の会などへの、極端な世間の反応を見ると、大人が感情的になって右往左往し、子どもがその空気を吸っているから安定しないようにさえ思えてしまう。
じゃぁどうすりゃいいかといえば、一朝一夕にやれることはないんであるが、少なくとも大人と呼べる年齢に達している人々は、今後の世の中のためにも、バタバタと延髄反射的情念反応を繰り返すのは思いとどまったほうがいい。
とはいえ、いまは政治家が、論理より情動操作に適した言説を多用する世の中なんだよなぁ。こういう時代はきっと、一呼吸おいて、深く息を吐いて・吸って、腹を落ち着けてから、頭を使うほうがいいのかもしれない。

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2004.06.19

ココログのメンテ、一区切りか

6/15に「ココログが深夜に不調とのこと」で、ココログを提供している@niftyの対応に関する不満を軽く書いた。同様の不満をもっと激しく書いているココログもいっぱいみつかった。翌日、@niftyはココログのトップページで、アナウンスをした。
6/18の午後までに行っていたメンテで、一応の区切りがついたようだ。ログインも、管理ページも、まっとうに動くようになった。

「もうココログはやめやめ」という人も出ちゃってるみたい。
MovableType互換のよそに引っ越すのは簡単。それが無理でも「今までのはリセットしてまたゼロから」を気楽にやる人だっている。はてなだってあるしね。
パソコン通信会社として始まった@niftyは、一箇所に固まってコミュニティを作る発想から抜けきれていない人々が多いのかなぁ。対応が後手後手にまわったことが、少々気になるところ。

***

たとえば、公私に関わる大量のメールを失うことは、仕事や連絡の履歴・連絡先を失うから、たいへん面倒なことになる。縁が切れてしまう人も出るから、こわいと感じる人々だっているはずだ。
だが、新しいPCに移行するのをきっかけに、メールデータをリセットしたり、どうしても必要な最近のメール以外は捨ててしまう人々も、少なからずいる。

こういうことは、ある程度PCの技術に通じていて、データ移行の知識がある人々には、なかなか難しいことかもしれん。PCやネットワークを含めた技術者・研究者などは、「もうめんどうだから全部捨て!」などという発想を、あまり持たない人々が多いような印象を受けている。
科学やそれをベースにした技術は、論理の積み重ねの上に成り立っていくものだ。知識さえあればデータ移行くらいできるし、失うよりもよいだろうと考えれば、メールデータをとりあえずみんな引っ越すくらいの労力は払う。そういう人々のほうが多いように感じる。

@niftyがかつてNifty-Serveと名乗っていた頃、パソコン通信として最大の会社に成長していく過程で、フォーラムというコミュニティを支えるのに協力してきた多くの人々は、少なくともこのような性格をいくらかでも持ち合わせている人々も多かったんじゃないか。過去ログ(会議室でのメンバーのやりとりを記録として残すもの)の整理と、その活用なども含めて、純度の高い情報を生み出すべく努力していた。また、その恩恵を享受しつつ、自分もいくらかは貢献しようと入会する人々が、巨大コミュニティに発展させていった。
けど、インターネットの普及からもうすぐ10年、ごく一般の(少なくともまったく凝り性でない)人々がネット上に大量にいる世の中になった。検索すれば、どこかに何かある。それをうまく編集すれば、とりあえずほしい情報は手に入る。どこか一つのコミュニティに集約させて、有用で純度の高い情報を整理するよりも、雑音が多くても手軽に入手できる情報を集めたほうが、話が早くなってきた。

そういう世の中で、@niftyのサービスを、コミュニティをつくる場としてとらえる人々は、むしろ少ないように思う。
でも、@niftyは、いまだにそういう方向を指向しているように見える。ココログのトップページを見ていると、フォーラムとは別のゆるいコミュニティ形成に、Weblog(より正確にいえばTypePad)を活用したいという空気を感じる。トラックバックを積極的に練習させる場などは、トラブル防止の側面もあるだろうけど、それ以上にメンバー間のゆるい連携ととらえているように見える。
それが悪いといってるんじゃない。
だけど、@niftyのトラブル対応について、運営の古くささを感じ、それはパソコン通信全盛期の発想の名残なのかなぁ、などと思ってしまったりするのだった。

まぁ半分は与太話。@niftyには、今後すばやく対応していただければいいんだけれどね。

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2004.04.18

イラク、残る二人の人質、解放

アサヒ・コムの記事より。
とりあえず、よかった、よかった。

日本政府は「マスコミも含めて今後責任持てんから退避してくれ」とか「もう行くな」などと言っている。さらに与党内から「本人と家族に金を負担させるべきだ」とかいう声が流れてくるのは、今の世論がそういう方向にあるから、と見ているのだろう。
だけど、政府の対処方法だけでは不足だと感じる人々が、個人で、あるいはNGOなどを通じて動く場合がある。あるいは報道目的の場合も。絶対安全な場所以外ではそういうことをしてはいけない、という格好の口実になってしまっては、問題がある。
危険地帯に赴く時には自己責任の部分が生じるし、判断が甘さが危険を招くこともあるだろう。今のイラクはまさしく戦争状態にある。だから、NGOなども含めて一度離れるしかないのかもしれない(自衛隊も離れるべきかの議論はいまはおいておく)。それはそれで正しい。だけど「今後、国際貢献に関してはまず国のいうことをよくきくように」という前例になってしまうのは、よくない。政府方針には入っていないから関係ない、という状態にしてしまうのは、もっと問題がある。そういう事例になりかねないんじゃないように見えるのだ。

たとえば。あるメーカーが、非常に厳しい経済状況になったため、安全に儲かる製品開発と販売へシフトしたとする。研究開発部門は、当然すぐに役立たない技術や製品を開発する予算がない。だけど、そういう中で、上司の命令も無視して、通常業務が終わった夜に、コツコツ実験や開発する人がいたりする。
で、景気が回復してきて、いよいよ新規技術で打って出る局面になった時、命令無視でこっそりやっていた技術のいくつかが、日の目を見たりする。そして、それが利益をもたらす場合がある。
青色ダイオードのような極端な話をしているのでも、プロジェクトXでもない。こういう話は時々あることだ。
国と一企業ではレベルが違う、と思われるかもしれん。だけど、日本が他の国を援助する場合でも、政府が決定した正規の案件だけでなく、民間や草の根レベルで行われていることが、援助国に強い印象を残す場合だってあるだろう。政府集中型がいい、民間はよけいなことをしなくていい、という常識になってしまわないことを願う。

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2004.04.16

イラク邦人拘束、第1陣は解決

この問題、もうあちこちで報道されてて、主要新聞社などでいくらでも記事が見つかる。リンクは貼らない。
3人が無事に解放、まずはよかった。
でも、さらに拘束された二人は未解決。こちらも無事に解決されてほしい。イタリア人の人質には実際に被害が出てしまっている。謹んでご冥福を祈りつつ、解決を願う。

イラクへの自衛隊派遣に、私はもとから反対だ。しかし、政府は(十分な検討をしたかどうかもはっきりしないまま)派遣を決定し、出してしまった。派遣される側も困るはず(そうは言っても軍人はリアリストであり、職務を遂行して帰ってくると信じているけど)。そんな中、自衛隊ではなく、現地にいる民間人が拘束され、自衛隊撤退を要求されるという、一番起きてほしくない事態が起きた。
この状況で自衛隊を撤退させれば、誘拐犯の要求をのんだ形となる。おそらく他の不安定な情勢の地域にいる日本人も標的になるだろう。こうした事件がすべて解決するまで、撤退のタイミングを計れない状況になってしまった。

あの3人が自業自得というのは、その通りだ(ウチでは私が当初そのような認識を示し、同居人と険悪になりかけたゾ)。しかし、人質にとられた家族は気が気じゃないだろうし、みんながよってたかっていじめるのは、ほめられた話じゃない。
本来非難されるのは、自衛隊と関係ない人々を人質にとること、しかもイラクの宗教指導者や統治機関(機能してるかは別にしてさ)とは見解の異なるらしい犯行組織のはず。

問題は、米国のような圧倒的軍事力を持つ国が、その力を背景に物事を決めていくこと。フセインを排除した後でどうなるかをきちんと見切らず、しかも混乱するイラク内情勢を軍事力で抑圧していれば、不満も出る。それに異議申し立てをしようとしても、話し合いは一方的になりがちで、戦争も起こせない、そうなると結局テロや誘拐を戦略に組み込んで動く人々が出現する。米国がテロを再生産してしまうような状況。

米国の統治は(お世辞にも)成功したとは言えない、だいたい第2次大戦の日本占領をモデルにしている時点で間違っている。ブッシュ大統領が強弁したところで、今はすでに戦争に戻っている。しかも、統治権の委譲日程は変えないという。
もしこれで、米軍は引き上げるから、続いて日本の自衛隊が警察的な対応を続けてほしいなどと言われたら、どうするのだろうか。人道支援だからやるのだろうか。それで戦火が再び起きないようにするにはどうすればいいか、有効策はあるか。確かに自衛隊はいまのところ友好的に迎えている人々も多いようだが、カンボジアPKO以上に難しい判断が続く状況なんである。撤収帰還のタイミングを、政府はどうみているのか。
米国には徹底的に方向転換を迫った上で、最後までつきあってもらうべきだな、非常に統治が難しい地域の蓋をあけちゃって、そのあとをうまく治められないんだから。

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2004.03.26

祈りに近い

春分の創造」で、イスラエルは次の暗殺対象にアラファトを加えるかもしれない、ということに触れたが、朝日の
この記事によればそんなことはなく、対象はあくまで原理主義的過激派だという。
一方で、共同通信のこの記事では、相変わらず予断を許さない状況であるように触れられている。
種々の報道を眺める限り、この地域についての専門知識を持たない者には、一概には言えないようだ、としかわからない。

春分の創造」を読むと、想像だけで物事が解決するなら、なんでも想像するなり拝むなりしてればいいじゃないか、と思われてしまうのかもしれない。
しかし、だ。現実を見つめて解決するにしても、とりあえず状況を調停できればいいだけと考えるよりも、どうすればよい状況になるかを考えたほうがいい。そして、それには一番いい状況を想像して、目前の現実に条件反射のように反応してしまうこと(相手が怒ったらこっちはもっと酷いことをしてやれ、などといったこと)を、極力抑えられるようにしたほうがいい。
それに、相手のことを真剣に考えるなら、想像力は必須だ。その上で、互いに違いをしっかり見るしかない。
一人でもそういう人が増えればと思う、これはもう祈りに近いけど。

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2004.03.24

今日の駅

卒業式シーズン。大学や短大の卒業式だろう、袴や振り袖の華やかな女性達が、晴れやかな笑顔とともに通り過ぎていく。
彼女らから視線を移せば警官。駅のゴミ箱は封鎖。
新宿駅だけでいいのか?などと書いていたら、あっという間にあちこちで。

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春分の創造

週刊文春の記事がプライバシー侵害だったとして、裁判所から出荷停止が命じられたこと。裁判所は両者から言い分を聞いた上で、なお出荷停止が妥当だったと判断したこと。このことは雑誌の生命を危機にさらす可能性が高いのだが、そのことよりも記事がどんな内容かのほうが話題になっちまってること。

台湾の総統選挙直前に、現職だった陳総統が至近距離で狙撃され、一命はとりとめたこと。そして、選挙は陳氏が僅差で勝利したこと、それを巡って選挙無効を対立陣営が訴えていること。速報によれば、再集計を行う方向を模索しているようだ。

イスラエルがイスラム原理主義組織ハマスの精神的指導者ヤシン師を殺害したこと。速報によれば、イスラエル政府は今後のこの方針を維持して、ハマス幹部の暗殺を進めるという。アラファトも対象に入るかもしれないとのこと。

他にも、韓国の大統領権限停止などもあるが、いずれも春分前後での出来事。
さらに、今年はアメリカ大統領選挙のある年で、これは直接間接に日本に累が及ぶ。
昨年、ブッシュ大統領の指示のもとに始まった戦争は、一応フセイン政権を追い込むところへいった。同時に、開けてはいけないもの、また開けるにしても開け方をよくよく考えなければいけないものを、ぱかっと開けっ放しにしてしまった。
こういう時こそ、真剣に、人々が対話によってお互いの相違点と共通点を見出したうえで、相互に笑顔絵で生きていく姿を、ありありと、思い浮かべたい。
また、文言や形式の上では、異なる人々と共にあることを旨としていたはずの合衆国が、理性に思い至る日を、想像したい。
たとえばこんな風にも出来るのだし、想像は創造なのだから。

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2004.02.08

首都大学東京

東京の新大学構想、首都大学東京という名前になり、学長は西澤潤一博士を迎えるのだそうな。(今回は読売新聞の記事をリンク。)
そうですか、確かに石原都知事の言っていた「みんなが納得するような」人選かもしれない。
でも、やっぱり文学部系授業を排したのは納得いかん。東工大で文学を教えていた江藤淳を引き合いに出すのは妙だが、理学・工学的な考え方をする人々を前にして、文学を語るのはなお重要だろう。西澤学長のような識者を迎えるなら、より論理的に考えるために言語を扱う講座を考えることができるのではないだろうか。
もったいない、あぁもったいないよ。

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2004.02.02

大学で学ぶこと、大学改革

都立大学の再編成を都がトップダウンで決定した(しかも予備校に相談した)ことが昨年報道された。話題に…あまりならなかったのかしら? ちょっと検索してみても、新聞などの記事はあまり引っかからず、教職員組合の作った問題提起文書などがすぐに見つかる(注:PDFなので、Adobe Reader等のビュアーが必要)。個人的に話をした卒業生も、驚いていた。

都立大学、科学技術大学、短期大学、保健科学大学の4大学を統合し、新大学として発足させる。まぁそのあたりまで聞くと多くの人は「よくある組織改革だろう、企業だって無駄に広げた組織を統廃合でわかりやすくするもんさ」と思う。
今回の統廃合をよく見てみる。都市教養学部(人文系、法学系、経済学系、理工学系)/都市環境学部/システムデザイン学部/保険科学部の4学部となる。大学院も人文・社会系研究科/理工学研究科/都市環境学研究科/システムデザイン学研究科/保険科学研究科である。
人文系の研究には、社会学・教育学・心理学・哲学歴史などはあっても、文学や言語学が入っていない。つまり、それらは取り除かれることになるらしい。

確かに世間で言われることがある。文学部を出ても英語その他の外国語が話せない、文芸批評ができるわけでもない、トリビアの泉みたいな教養があるわけでもない、等々。
でも、文学部って、そういう実用知識を学ぶわけじゃない(トリビアは贅沢な無駄知識ですけど)。そもそも、大学ってそういう側面がある。もちろん役に立つことも学ぶ、しかし、すぐに役立つ訳じゃないことを延々と学ぶものだ。

世間では実用的と思われがちな理工系学部、たとえば、情報処理学などでコンピュータを専攻したとする。大学で学んだプログラミングは会社に入ってすぐに役立つのか。そうではない。じゃぁ、大学はしょぼいことを研究と称してやっていて、まっとうなことを教えていないのか。そうでもない。
一般企業では、たとえばWindows上で動く業務システムをすぐに開発できるか、といったことが実用知識になる。ところが、技術にも流行り廃りがある。Windows単体で処理できるものから、UNIXサーバとの連携が必要になり、さらにサーバを自前で持つための知識が必要になり、次はJavaをサーバで動かしつつクライアントのWindowsはどうするか、今後携帯電話もつなげるぞ、携帯電話のJavaはどうするかなど、次々に変化していく要求に応えなければならない。
そういう時に、コンピュータはどう動くのか、なぜプログラミング言語で記述するのか、その言語を解釈するプログラム(コンパイラ)はどう作るのか、いい設計ってなんなのか、通信がうまく行えるのはそもそもなぜか、プロトコルを設計するってどういうことかなど、技術そのものの背景にある捉え方・考え方を踏まえる習慣がついていれば、上記の要求にも対応できる。
そういった、対象の背景や背後を見抜く力を磨き、学ぶ場が大学だ。

文学部では、じゃぁ、何を学ぶのか。文学作品の批評をしたり、感想文を一生書いているわけではない。人間とは何か、それを主に言語という側面を通じて学ぶ場と言える。哲学も歴史も文学も社会学も心理学もみんな詰まっているのは、言葉というのが人間と他の動物を分つ最大の営為であり、それを踏まえて人間を徹底的に考える場だからだ。本気で学べば、術語から始まって、論文作法やら専門課程の高度な内容やら他の学問との連携やら、いくらでもやることがある。
それこそ、社会に出てすぐに役立つものではないだろう。しかし、社会に出て若年層から中堅層に移り変わった人々が「若い頃、もっと学べばよかったなぁ」と思い、定年退職後にカルチャースクールや市民大学に通う人々がたくさんいるのを見れば、文学部こそつぶしてはならない学部なのではないか。
私個人としても、実用的とは言えない文学、心理学、歴史などの講座を通じて学んだことは、直接の仕事ではなく、コンピュータのシステム作りにおいて人間とはどう反応するかを考える際や、開発時のメンバーの扱いなどに、間接的に活かす程度だった。しかし、後になってみればそれこそが重要なことだった。それに、論文作法をきちんと学べば、企業の中で企画書や報告書を書く時にもすごく役立つものだ。

だいたい、母国語で徹底的に考えることのできない人間が、海外できちんと議論もできるわけがない。これは産業界のカンファレンスなどで海外の人に触れればすぐにわかることだし、私もよく実感している。そういうバックグラウンドを学ぶはずの文学部を、経済的に役立たないからと切り捨てる大学が、本当に改革になるのだろうか。
もっとも、そういうことは旧帝大や一部の私学でやればよく、一般的な大学はもっと役立つことを、ということなのかしら。それでも、言語学や文学をきちんと考える研究科を残さなけりゃ、大学ではなくなってしまう。多くの大学生が、実際に学会やカンファレンス、あるいは仕事で海外に出て、初めて痛感するようでは、むしろ遅い(現在でもそうなのだから)。
改革するなら、学びの中心が若年層だけでなく、社会人や定年退職後の人々をもっとずっと積極的に受け入れるようにするだけでも、かなりいい空気に変わるんじゃないのか。すでに仕事をしている人間が学生に戻り、若い人々に話をするのも意義があることだろう。まだ学ぶ人がいる学問そのものの統廃合を、軽々しく行うもんじゃない。

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